原田宗典 旅の短篇集 春夏 目 次  序(プロローグ)  春の章  夏の章  夜の章  味の章  恋の章  妙の章  序(プロローグ)  月があらたまって手帳をめくると、スケジュール欄の週末に、鉛筆の跡が残っていました。  消えたスケジュール。  本当は、あなたと行くはずだった旅。些細《ささい》な喧嘩《けんか》が原因で、逢《あ》わなくなってしまってから、もう一月が経《た》つ。  とっくにキャンセルしていると、あなたは思っているかもしれませんね。けれど私はそうしなかった。その旅行のために、スケジュールも空けたまま、こうして考えあぐねているのです。  ほんの小さな勇気を、私に与えて下さい。あなたの電話番号を回すだけの勇気を、私の指先に与えて下さい。  受話器を取り上げて、あなたの電話番号を回す。やがて、呼び出し音が耳の奥に響き始める。  その瞬間から私たちの旅は、もう始まるはずなのです。  TOKYO FMの「ジェット・ストリーム」で'91〜'92年にかけて、金曜深夜に「ミッドナイト・オデッセイ」として放送されていたものを小説にまとめました。  春の章  滝は歌う  ニュージーランド最大の湖、タウポ湖から流れ出すワイカト川。その美しい流れのほとりに、実は私だけが知っているとっておきの場所があります。  タウポ湖からカヤックに乗って、三十分。高さ二メートルほどの落差がある小さな滝のそばに、象に似た形の岩がふたつ肩を並べている場所です。この岩の上に寝そべって、目を閉じると、不思議な音が聞こえてきます。それはオルゴールの響きのような、バイオリンの細やかな囁《ささや》きのような、ハープの繊細な溜息《ためいき》のような音です。目を開けて辺りを見回しても、もちろん誰の姿もありません。これは、滝が奏でる旋律なのです。何とも言えぬ甘い音楽が耳をくすぐり、聞いている内に段々眠たくなってきます。うとうとと眠りに落ちていく瞬間の快感は、他にたとえようのない種類のものです。  私がニュージーランドを訪れる大きな理由のひとつは、この滝の音楽を聞くことにあります。もちろん今年も、春になるのを待って訪れるつもりです。今度はぜひテープレコーダーを忘れないようにしようと思っているのですが、果たしてあの音楽が録音できるのか、どうか……。  言葉の壺  私がブエノスアイレスを訪れたのはもう十年も前のことです。ほんの三日ほどの滞在でしたが、私はそこで記憶に残る或《あ》ることをしてきました。街外れに立つ市場の中で、変わった壺《つぼ》を売る老婆と知り合いになり、彼女の勧めに従って、私の声を壺の中へ閉じ込めてきたのです。 「これは言葉の壺と呼ばれるものだ。壺の中へ向かって喋《しやべ》れば、その声を保存しておくことができるんだよ」  老婆はそんなことを言って、私に喋ってみろと勧めたのです。言う通りにすると、彼女は私が喋った後、壺に紙を被《かぶ》せて封印しました。そして、この次に私がブエノスアイレスを訪れるまで、壺は預かっておくと言うのです。  そしてこの三月、私は十年ぶりにブエノスアイレスを訪れる機会を得ました。仕事を終わらせるなり、例の市場へ赴いたところ、十年前と同じ様子で壺を売っている老婆を見つけることができました。彼女は私を覚えていて、顔を見るなり、奥の棚から私の壺を持ってきてくれました。封印を解き、壺の口へ耳を近づけてみると、十年前の私の声が中から響いてきました。すっかり忘れていたのですが、私はこんなことを言っていました。 「再びこのブエノスアイレスを訪れることができますように……」  ウエディングドレスの力  ハンガリーの首都、ブダペスト。市内のほぼ中央にある英雄広場の近くに、小さな土産物屋が店を開いています。レースのテーブルクロスや、刺繍《ししゆう》を施した衣装を売っているのですが、店内の突き当たりの壁に飾ってある豪華なウエディングドレスは、買わないまでも一見の価値があります。すべて手作りで、いたるところにレースが使われ、何ともいえぬ美しさを醸しています。  このウエディングドレス。女主人の説明によれば、花嫁を美しくする力があるのだそうです。たとえ六十歳の花嫁でも、このウエディングドレスを着れば、ういういしい十代の花嫁に見えると言います。本当か嘘《うそ》か、残念ながら私は男なので試してみることができません。そこで女主人に「花婿が美しくなる衣装はないのか」と尋ねてみました。すると彼女は大きな声で笑い、 「花嫁が本当に美しく見えるためには、花婿は三枚目の方がいいのよ」  と答えました。確かに筋が通っています。あなたがもし独身の女性なら、ブダペストを訪れて、このウエディングドレスを一着、お求めになってはいかがですか。ただしその力はたった一日、結婚式の日だけにしか効力を発揮しないそうですが。  一年ぶりのカジノにて  ブダペストのヒルトンホテルの中には、こぢんまりとしたカジノがオープンしています。小さいからといってカジュアルなわけではなく、男性はジャケットとタイを着用していないと、入場できません。  昨年の春にここを訪れた時、珍しく大きな勝ちをおさめたことのある私は、一年ぶりにまたこのカジノを訪れてみました。昨年勝った時は、ルーレットのディーラーのすぐ脇《わき》の席に座ったのです。縁起を担いで、今回も同じ席に座ってみました。しかし、どうもうまくいかないようです。  そうやって何回かチップを賭《か》けている内、隣に座っている白髭《しろひげ》の老紳士に見覚えがあることに気付きました。一年前この席に座った時も、その老紳士は隣に腰掛けていたのです。何だか懐かしかったので、 「あなたは昨年の春も、その席に座っていたでしょう?」  と声をかけると、その老紳士は真っ赤に充血した目を私に向け、 「ああ、もうそんなに時間が経《た》ったのか。あれからずうっとここに座ったまま、賭け続けているんだよ」  そんなことを言いながら、ルーレットの玉の動きに注意を払っています。どうやらブダペストの金持ちは、お金だけでなく、体力もあり余っているようです。  インカの薔薇  ブエノスアイレスの免税店で、友人への土産物を探していた時のことです。なかなかいい品物を見つけられずに店内をうろうろしていると、店員らしき男がいきなり私の肩をぽんと叩《たた》きました。 「待ってろ。今いいものを持ってきてやる」  そう言ってその男が店の奥から持ってきたものは、真っ赤な石に彫刻を施した置物でした。 「インカの薔薇《ばら》という、ブエノスアイレスでしか採れない石だ」  男は自慢げにそう言いました。私は人のよさそうなその男の言葉を信じ、ひとつ買い求めることにしました。代金を払うと、その男は、 「毎日欠かさず水をやることだ。そうすればもっと美しくなる」  と説明を付け加えました。私はうなずいてみせ、その石を鞄《かばん》にしまい込んで、帰国の途につきました。  昨年の秋、ブエノスアイレスで買ったインカの薔薇。その赤い石に、白い薔薇の花模様が浮かび始めたのは、今年の春のことです。  イグアノドンからの伝言  ロンドンのクロムウェル・ロード。イギリスの誇る自然史博物館に飾られている、恐竜の骨格標本は、時々お喋《しやべ》りをする。そんな噂《うわさ》を聞いたのは、去年の春でした。イギリスから帰国した友人が、もっともらしい顔で話して聞かせてくれたのです。 「イグアノドンの骨格標本だよ。その前に立って、しばらくじっと息を殺していると、恐竜が話しかけてくるんだ」  友人は、そんなことを言いました。私はもちろん半信半疑でしたが、今年の秋、ちょうどロンドンへ行く用事があったので、自然史博物館を訪れてみました。  友人の言っていたイグアノドンの骨格標本はすぐに見つかりましたが、その前に立ってじっと息を殺してみても、何の物音も聞こえませんでした。私はがっかりして、ホテルへ帰りました。部屋へ入ると、メッセージランプが点滅していたので、私はさっそくフロントへ電話をしてみました。すると、フロントのマネージャーはこんなことを言いました。 「伝言が入っています。風邪をひいて、喉《のど》の調子が悪いので先程は失礼しました。という内容です」  誰からの伝言ですかと私が尋ねると、マネージャーは相手の名前を読み上げました。 「イグアノドン、という方からの伝言です」  誰かが泣いている  エジプト一の観光都市ルクソール。  この街の外れには、泣き声を上げる不思議な石像があります。そして、この石像の泣き声を聞いた者には、必ずよいことが起きると言い伝えられています。  私がルクソールを訪れたのは、昨年の春のことです。町中を西へと流れる運河沿いの道をぶらぶら歩いている時、どこからともなく誰かの泣き声が聞こえてきたのです。気になってその泣き声のする方へ行ってみると、突然、高さ二十メートルはあろうかという巨大な石像に突き当たりました。 「誰かの泣き声を聞いたような気がするのですが……」  石像の台座に腰をかけていた老人にそう尋ねてみると、彼は目を丸くして答えました。 「それはこの石像の泣き声だよ。あんた、きっといいことがあるよ」  その三十分後。ホテルへ戻ってロビーのソファに座っていると、不意に背後から肩を叩かれました。振り向くとそこには、学生時代に放浪の旅へ出掛けたまま、行方知れずになっていた友人が立っていたのです。私たちは抱き合って再会を喜び合いました。  ルクソールの泣き声をもらす石像。その霊験は、なかなかあらたかなものです。  あなたの一日をアルバムに  友人が紹介してくれたロンドンの写真館は一風変わった仕事を売り物にしていました。 「専属のカメラマンを派遣して、あなたの一日をアルバムにします」というのがキャッチフレーズ。契約を交わすと、指定した日の朝から夜までの行動を逐一写真に撮《と》って、アルバムにまとめてくれるのです。  私がこの写真館に仕事を依頼したのは、全英オープンの日でした。朝ホテルを出てから全英オープンを観戦し、夜ホテルに戻るまでをアルバムにまとめてもらう約束でした。その日はとても気持のいい天気で、私は物陰から写真を撮られていることも忘れて、ウインブルドンの一日を充分に堪能しました。  そして翌日。ホテルにぶ厚いアルバムが届きました。さっそく中を開けて確かめてみると、いつのまに撮ったのか、朝ホテルを出てからテニスコートへ向かう私の写真が何枚もおさめてありました。ところが、その後がちょっと変だったのです。アルバムの中の私は、全英オープンの試合の途中で観客席を抜け出し、見知らぬ美女と密会してレストランで食事を楽しんでいたのです。もちろん私にはそんな覚えはまったくありません。しかしアルバムの中の人物は確かに私自身なのです。  自分の知らない、自分自身の行動。あなたもロンドンを訪れて、この写真館に仕事を依頼してみてはいかがですか。  奇跡の庭にて  パリのカイロ広場には、昔「奇跡の庭」と呼ばれた一角があることを御存知ですか。脱走兵やおたずね者、娼婦《しようふ》やスリなど、一癖ある連中の溜《た》まり場で、夜ともなると警官でさえ足を踏み入れない物騒な場所だったそうです。ところがある日この一角に聖母マリアの像がぽつんと据えられ、以来辺りの雰囲気はがらりと変わったと言われています。不思議なことに、このマリア像の前を通った者は、よこしまな気持がきれいさっぱり消えてしまうのです。  私がこのパリにある奇跡の庭を訪れたのは、昨年の春のことでした。聖母マリアの像は確かにそこにありました。その前に立ってしばらくぼんやりしていると、背後から声をかけてくる者があります。振り返るとそこには見知らぬ中年の男が立っていて、悲しそうな瞳《ひとみ》で私を見つめています。 「どうかしましたか?」  そう尋ねると、男はポケットから黒い牛革の財布を取り出してこう言いました。 「申し訳ないことをした。許して下さい」  見ると、その財布は私のものでした。いつのまに掏《す》られたのでしょう。驚いて顔を上げると、男は既に背中を見せて駆け出していました。その様子を、聖母マリアの像は柔らかな微笑《ほほえ》みで見下ろすばかりです……。  夏の章  雨の鈴  その不思議な鈴は、台湾を旅行した時に手に入れたものです。  ごみごみした下町に店を開いている古道具屋で、偶然見つけたものでした。形はちょうど風鈴に似ています。ガラス製の丸い鈴から吹き流しが垂れていて、風が吹くと涼しげな音を立てて鳴るのです。  一目見て気に入ったので値段を尋ねると、古道具屋の主人はずいぶんと高いことを言ってきました。彼が言うには、この鈴は特別なものなのだそうです。 「暑くて堪《たま》らない夜は、この鈴が大変役に立つ」  と彼は誇らしげに言いました。その時は大して気にも止めずに、少し値切っただけで手に入れてしまったのですが、日本へ帰ってから、私は改めて彼の言っていた言葉の意味を思い知りました。  この鈴は風鈴ではなく、ウリンだったのです。雨鈴、つまり雨の鈴。暑くて寝苦しい夜にこの鈴を軒先に吊《つ》るすと、たちまち雨が降ってくるのです。  今夜も、かなり暑くなってきましたね。さっきこの鈴を軒先へ吊るしましたから、そろそろ雨が降ってくるはずです……。  『さようならコロンバス』のプール  ニュージャージー州のニューアークという町の名前を聞いて、私が最初に思い出すのはフィリップ・ロスの青春小説『さようならコロンバス』のことです。この小説の舞台がニューアーク。物語の冒頭は、ブレンダという名のヒロインが、主人公のぼくに「眼鏡を持っていて」と頼むところから始まります。彼女はそう言ってぼくに眼鏡を預けた後、飛び込み台からプールへ飛び込むのですが、この瞬間から、二人の恋も始まるわけです。  先日、ニューアークへ行った際に、私はこの物語の舞台になったプールを発見しました。周囲が緑に囲まれていて、プールの中央に飛び込み台がある、きれいなプールです。若者たちに混ざって、私も水着に着替えてプールサイドのデッキチェアに腰を下ろしました。すばらしいプール日和で、私はすぐにうとうとしてしまいました。と、誰か私の肩を叩《たた》く者があります。薄目を開けてみると、そこには水着を着た若い女性が立っていました。 「ちょっと眼鏡を持っていてくれない?」  彼女はそう言って私に眼鏡を手渡すと、飛び込み台の方へ走って行きました。私はその後姿を見送りながら、奇妙な恋の始まる予感に胸を震わせました。ニューアークのプールサイドなら、どんな奇跡が起きても不思議ではないのかもしれません……。  歌うモスキート  夏のアラスカへ一カ月間滞在した友人が、面白い土産話を聞かせてくれました。彼の職業はカメラマンで、アラスカの雄大な自然を撮《と》るために、かなり人里離れた奥地まで入り込んだのだそうです。昼はシャッターチャンスを求めて歩き回り、夜は森の中にテントを設営して眠る。そんなある晩のこと。彼は歌うモスキートと出会ったのです。 「夜、明かりを消して眠ろうとしたら、テントの中に一匹の蚊がまぎれ込んでいたんだ。追い払っても追い払っても、耳元でプーンと羽音がするんだよ」  ところが驚いたことに、その羽音はやがて一曲の美しい音楽に変わっていったのだそうです。まるで小さなバイオリンを奏でるように、耳元で響き始めたのです。驚いてその音楽に耳を傾けている内に、いつしか彼はいい気持で眠りこけてしまいました。  友人はひとしきりその歌うモスキートについて話した後、シャツの袖《そで》をめくって私に見せました。彼の二の腕には、蚊に刺された跡がぽつんと赤くついていました。 「これが音楽の鑑賞料というわけだ。まあ、考えようによっちゃ、安い入場料だけど」  友人はそう言って楽しそうに笑い、蚊に刺された跡をぽりぽり掻《か》くのでした……。  滅多に鳴らないギター  今年の夏、オリンピック観戦のためにバルセロナを訪れた時のことです。  街から少し離れた小さな楽器店で、私はとても不思議なギターを見つけました。美しい彫刻が施されたクラシックギターなのですが、どういうわけかいくら弦を爪弾《つまび》いてみても、まったく音を出さないのです。神妙な顔をしてそのギターの前に佇《たたず》んでいると、店の主らしき男が声をかけてきました。 「そいつは滅多なことじゃ鳴らないよ。星の調べのギターと言って、星の流れる夜にしか音を出さないんだ。星が流れて、ギターが美しい調べを奏でる時、夜空に向かって願いをとなえると叶《かな》うと言われてるんだ。滅多なことじゃ鳴らないんだよ……」  もちろん私はこのギターを購入して、日本へ持ち帰りました。ただ残念なことに、星が流れるような場所は、日本には少ないのです。明日あたり、野辺山《のべやま》にでも行ってみようと思っているのですが……その前に、願い事を決めておかなくてはなりません。何を願えばいいのか、さっきから悩んでいるところです。  ダービー帰り  六月の第一水曜日。この日にロンドンに滞在している方はラッキーです。ちょっと郊外まで足をのばして、エプソム競馬場まで行けば、本場のダービーを観戦することができるからです。  昨年の六月。私はこのダービーを観戦するためにロンドンを訪れました。ビクトリア駅から直通列車で約一時間。この列車の中で、私は見知らぬ紳士に声をかけられました。私の顔を見るなり近づいてきて、急に握手の手を差しのべてきたのです。見たところ身なりの立派な紳士だったので、私はそのわけを問いただしてみました。すると彼は、 「昨年この列車で乗り合わせた日本人と握手をしたら、ダービーの予想が的中して大金が転がり込んだんだよ」  と説明しました。私は彼のジンクスに協力すべく、喜んで握手をしました。  そしてダービーからの帰り道。ビクトリア駅行きの列車の中で、私はまた同じ紳士に声をかけられました。  彼は嬉《うれ》しそうに微笑《ほほえ》んで勝利のVサインを私に送ってくれました。どうやら予想が的中した様子です。私はそばへ行って握手の手を差しのべました。すると彼はのばしかけた右手を急に引っ込めて、申し訳なさそうにこう言いました。 「いや。昨年、ダービーの帰りにその日本人と握手をしたら、儲《もう》けた金を落としてしまったんだ。握手は勘弁してくれ」  夢の野球場  先日、アメリカを旅した時のことです。アイオワの小さな田舎町を訪れた際に、私はそこで夢のような野球場に巡り合いました。  シカゴからバスで半日。イリノイ州との州境に近いダイアースヴィルという小さな町。見渡す限りのトウモロコシとダイズの畑に囲まれた簡素な野球場を通りがかると、試合の真っ最中であるらしく、ユニホーム姿の少年たちが真剣なおももちで守備についていました。私は何となく心ひかれるまま、三塁側のベンチに近い客席に腰を下ろしました。傍らに一人の老人が座っていて、彼は私と目が合うと、持っていた缶ビールをひとつ勧めてくれました。 「お孫さんの応援ですか?」  私がそう尋ねると、老人は子供のように屈託のない笑みを浮かべ、こう答えました。 「いやいや、違う。子供の頃の私が出ているんだよ。ほら、サードを守っている赤毛の男の子が私だ」  言いながら老人は目を細め、サードベース上の少年を指さしました。  イリノイ州のダイアースヴィル。その小さな町には映画『フィールド・オブ・ドリームス』の舞台となった夢の野球場があります。そして今でも、夢を忘れない人々がベースボールを楽しんでいるのです。  ナイアガラ余話  今から五年ほど前の七月七日のことです。私は友人のカメラマンと一緒に、ナイアガラの滝を訪れました。ちょうど昼食時で、滝のそばに並んで建っているレストハウスは大変な混雑ぶりでした。入口で順番を待っていたところ、一人の少年が絵葉書を手に、私たちのそばへ近づいてきました。 「一枚買ってくれないかな。買ってくれたらいいことを教えてあげるよ」  少年はそんなことを言いながら、私の目の前に絵葉書を差し出しました。高い買物ではないので、五枚ほど買ってやると、少年は嬉しそうに微笑みながらこう言いました。 「今夜、午前零時にここへ来てごらん。すごいものが見られるよ」  私は半信半疑だったので、その日はホテルへ帰るなり寝床へ入ってしまったのですが、友人のカメラマンは少年の言葉に好奇心を刺激されたらしく、夜中にナイアガラの滝へ行ってみたのだそうです。明け方、ホテルへ戻ってきた彼は、私を叩《たた》き起こしてこんなことを告げました。 「ナイアガラの滝が下から上へ噴き上げるのを見た。すごい光景だった!」  少年の言葉を信じなかった私は、世紀の見物を見損ねてしまったのです。今年、七月七日に、私はもう一度ナイアガラを訪ねてみるつもりです。もちろん、今度は真夜中の零時に見物に行きます。  夏服を着た女たちよ  毎年初夏になると、必ず思い出す物語がひとつあります。  アーウィン・ショーの、『夏服を着た女たち』。男と女のアンニュイな関係が描かれる一方、ニューヨークの街を軽やかな足取りで闊歩《かつぽ》する女性たちの姿が、鮮やかに映し出された好短編です。この物語を読むと、ニューヨークの女性たちがいかに美しく夏服を着こなして街を歩いているのか、目に浮かぶようです。  そんな女性たちを、最近では東京でも見掛けるようになりました。よく晴れた日曜日。銀座の歩行者天国の通りにセッティングされたベンチに腰掛けて、道行く人の姿を眺めていると、時々はっとするほど美しい歩き方をしている女性を見つけることができます。映画の帰り道でしょうか、それともこれから恋人とデートの約束があるのでしょうか。私はそんなとりとめもないことを、ぼんやり考えるのが好きです。そうやって、夏服を着た彼女たちの後姿を眺めていると、何だかニューヨークの五番街の街角にたたずんでいるような気がしてくるのです。  空飛ぶ仙人  中国の太白《たいはく》山の山中に、空を飛ぶ薬を調合する仙人がいる、というおとぎ話を聞いたのは、まだ子供の頃のことです。  大きな鍋《なべ》の中にさまざまな薬草を入れて、ぐつぐつと三昼夜。この間、仙人はいっときも気を緩めることができません。何しろ意地の悪い鬼や悪魔が、仙人の仕事の邪魔をしてやろうと手ぐすねをひいているのです。結局そのおとぎ話は、美しい女に化けた悪魔に仙人がつい気を許し、空飛ぶ薬の入った鍋を引っ繰り返されてしまうという結末を迎えるのでしたが、子供心にくやしい思いを噛《か》み締めた記憶があります。  空飛ぶ薬がもし完成していたら、どんなに素敵だろう。一度ぐらい鍋を引っ繰り返されたからといって、諦《あきら》めずにもう一度薬を調合すればいいのに。子供の私は、そんなふうに考えました。  この夏、私は中国を旅行する予定なのですが、向こうへ行ったらぜひ太白山の山中へも出掛けてみたいと思っています。果たして空飛ぶ薬を調合する仙人に出会うことが、できるでしょうか。もし出会えたら、帰りは日本まで自分自身で空を飛んで来ようと、考えているのですが。  世界で一番美味い水  透明なガラスのコップに、よく冷えた水を一杯。息もつかずに飲み干して「美味《うま》い」と一言。そんな経験はありませんか?  日本は水の豊かな国ですから、普段はあまり気にもとめずに暮らしていますが、海外旅行をすると、この�水のありがたみ�をしみじみ感じる時があります。  例えば、西オーストラリア。4WDに乗って、乾いた草原を半日も走った末に、辿《たど》り着いた田舎町のドライブインで注文した、一杯のミネラルウォーター。あの美味さは、未《いま》だに忘れることができません。あれ以上美味い水は、どこへ行っても飲めないのではないかと思います。結局その思い出が強すぎて、他の体験がすっかり霞《かす》んでしまい、西オーストラリアと聞くと私は、あの一杯の水を思い出すようになってしまいました。  世界で一番美味い水。  あなたの場合は、いつ、どこでそれを飲みましたか?  Tバードを見送る日  サンフランシスコ行きの飛行機の窓際の席に座って、遠くなっていく空港の景色を眺めていた時、私はふと、ある映画のワンシーンを思い出しました。それは弱冠二十九歳のジョージ・ルーカスが監督した『アメリカン・グラフィティ』という映画のラストシーンです。  主人公の青年は、東部の大学へ進学するために、それまで暮らしていたカリフォルニアの町を単身離れていくのですが、その時、飛行機の窓の下を一台の白いTバードが疾走しているのを見つけます。白いTバード、それは彼がずっと会いたくて探しあぐねていた、名も知らぬ憧《あこが》れの女性がハンドルを握る車です。自分の青春の象徴ともいえるそのTバードを見送って、彼は優しく、そして切なげに目を閉じます。その時の若きリチャード・ドレイファスの表情が、とても印象的でした。  人はみな青春と出会い、そして別れていきます。誰もがきっと、その人なりの�Tバードを見送った日�を持っているはずです。私は飛行機のシートに体を沈めて、自分自身のその日に思いを巡らせました。  さてあなたは、自分のTバードを見送った日を覚えていますか?  頭痛の種  セビリアと言えば有名なのは理髪師、ということになるのかもしれませんが、この町の朝市もなかなかのものです。賑《にぎ》わいの中を三十分も歩くと、すっかり気分が陽気になってきて、つい散財してしまうのが玉に瑕《きず》ではありますが。  今年の夏、セビリアの朝市を訪れた時に私が手に入れたのは、ちょっと変わった植物の種でした。屋台で花を売っている老婆が、タダで一粒だけ分けてくれたのです。一見したところホウセンカの種に似た、黒い丸薬のようなものなのですが、彼女の説明によると、これは�頭痛の種�と呼ばれるものなのだそうです。 「あなたが憎んでいる人の家の庭に、この種を蒔《ま》くのさ。そうすると、そいつには何らかの形で頭痛の種が芽生えるんだよ」  老婆はそんなことを言って、私に頭痛の種を一粒だけ渡してくれたのです。それを半信半疑のまま受け取って、日本へ持ち帰ってきたのですが、今のところ使わずにしまってあります。時々取り出しては掌へ乗せて眺めているのですが、そうするとどういうわけか頭が痛くなってくるのです。困ったものを貰《もら》ってしまった、と後悔しているところなのですが……。  ニューギニアの奥地?  私の友人でカメラマンをしている男の話です。彼は昨年の夏、ニューギニアへ撮影旅行に出掛けました。未《いま》だかつて誰も撮影したことのない奥地へと足を踏み入れたのです。  彼のテントをタイフーンが襲ったのは、山に入って二週間後でした。雨が上がると、彼は撮影機材以外すべてを失って、あてもなく山岳地帯をさまようハメに陥りました。そして夜明け前、その不思議な村にまぎれ込んだのです。  その村には、とてもニューギニアの奥地とは思えない人々が住んでいました。白人、黒人、黄色人種……ありとあらゆる肌の色の人たちが、仲良く暮らしていたのです。電気も通っていないはずなのに、その村にはテレビもステレオもありました。唖然《あぜん》とする彼を、村の人々は温かく迎え入れてくれました。彼はお礼の代わりに、村人たちの写真を何枚も撮《と》りました。そして数日後、町までの道筋を教えられて彼はその村を後にしました。  ところが日本へ戻ってからフィルムを現像してみると、村人たちの姿はまったく写っていなかったのです。そこにはただニューギニアの奥地の風景だけが延々と写っていました。 「あの村は、もしかしたら天国だったのかもしれない」  彼は夢見るような瞳《ひとみ》で、私にそう語りました。  雨雲をお伴に  バリ島のクタビーチで出会ったそのイギリス紳士は、一風変わった様子でした。容貌《ようぼう》とかファッションが変わっていたわけではなく、こうもり傘を持ち歩いていたのです。ロンドンならば話も分かりますが、なにしろここは南の島です。ビーチサイドの長椅子《ながいす》でトロピカルカクテルを飲みながら、しばらくお喋《しやべ》りをして親しくなった後、私はその傘について質問してみました。すると彼は困ったような顔をして、こう言いました。 「私は旅行好きでね。世界中色々な所へ行ったんだが、あれは確か……二年前の夏でしたか。ボルネオへ行った時に、どういうわけか雨雲に好かれてしまいましてね。以来ずっと私の後をついてくるんですよ」  私は彼の言っていることがよく分からなかったので、首をかしげました。するとそこへ遠くからスコールの雨音が響いてきました。あっという間に辺りは薄暗くなり、頭上は雨雲に覆われました。イギリス紳士は驚いた様子もなくこうもり傘を開き、 「ほらね。この通りなんです」  そう言って苦笑しました。  モルジブ・カクテル  行きつけのカウンターバーの扉を押し、いつもの席に座ると、顔馴染《かおなじ》みのバーテンダーが静かに微笑《ほほえ》みながら、こう言いました。 「新しいオリジナルカクテルを作ってみたのですが、一杯試してみませんか?」  私はビールを頼もうと思っていたのですが、せっかくの申し出なので、快くそれを受けました。バーテンダーは嬉《うれ》しそうにうなずき、カウンターの向こう側で、さっそくカクテルを作り始めます。 「モルジブ、という名前のカクテルです」  そんな台詞《せりふ》とともに目の前に差し出されたカクテルは、目のさめるようなブルーで、巻き貝の貝殻がひとつ、グラスの底に沈んでいます。訊《き》けば、先日彼がモルジブへ旅行した時に思いついたカクテルなのだそうです。  一口飲むと、驚いたことに、目の前に真っ青な海が広がって見えました。錯覚ではなく、本当にモルジブの浜辺に寝そべって、ぼんやりしているような気分なのです。耳元には、波音さえ聞こえます。  飲み終わって、これはすごいカクテルだと褒めると、バーテンダーは嬉しそうにウインクをしてみせます。いったい原料は何なのかと尋ねたのですが、それだけは勘弁して下さいと言って、教えてくれません。グラス一杯で南の島へ旅立てる、夢のカクテル。もちろん、私はもう一杯注文しました……。  読書好きの熱帯魚  その喫茶店には、壁際に沿って大きな水槽がいくつも置いてあります。中を自在に泳ぎ回っているのは、南の島の熱帯魚。バリ島あたりで海へ潜るとお目にかかることのできる、鮮やかな色合いの小魚です。  この水槽を背にして座り、アイスコーヒーを飲むのが、最近の私のお気に入りです。煙草《たばこ》を一服つけて、それから読みかけの本を取り出します。そうやってページを開くと、ちょうど背後の水槽の照明が、いい具合の明かりを投げかけてくれるのです。  ところが先週の金曜日のことです。  いつものように水槽を背にして座り、本を読み始めたところ、背後で誰かが、 「早くめくってくれ」  と私を急《せ》かすのです。驚いて振り向くと、水槽の中の熱帯魚が一匹、こちらを見て思案顔をしていました。言われた通りページをめくってやると、小さな声で、 「よしよし。それでいい」  などと呟《つぶや》くのです。この読書好きの熱帯魚のおかげで、最近私は本を読む速度がずいぶん速くなってしまいました。おそらく夏の間に、五十冊は読めそうです。  ピノキオのこと  海の好きな友人に誘われて、ハワイの沖へホエールウォッチングに出掛けたのは、九月末のことでした。  早朝から丸一日クルーザーを走らせて、海上に目を凝らしたのですが、結局鯨の姿を発見することはできませんでした。夕暮れになって、私たちはほとんど諦《あきら》めて、デッキでシャンパンを飲みながら海をぼんやり眺めていました。  その時、私が考えていたのは、鯨に呑《の》み込まれたピノキオのことです。薄暗い鯨の腹の中で小さなカンテラを灯《とも》して、この大海原を旅するなんて、いったいどんな気分だったでしょう。  と、その時水平線の彼方に、大きな影が現れました。私と友人はあっと叫んで、立ち上がりました。それは体長四十メートルもありそうな巨大な鯨でした。海面に浮上して高く潮を吹き、すぐに潜ってしまいましたが、潮を吹いた瞬間、何かが空高く放り上げられたように見えました。それは鼻の長い人形のように私には見えたのですが、鯨の浮上した辺りへクルーザーを近づけたところ、何も発見できませんでした。  あれは私の目の錯覚だったのでしょうか。それともピノキオの作者と同じ夢を、私は見たのでしょうか。  鱒とネクタイピン  昨年の夏、タスマニアを旅した時に、私はお気に入りのネクタイピンを失《な》くしました。場所はタスマニアの首都ホバートから約二百キロ、ロンドンレイクスという名の人造湖のほとりにあるロッジです。ネクタイなど締めるような場所ではないので、鞄《かばん》から出さずにおいたのですが、出発の朝、調べてみるといつのまにか失くなっていたのでした。  そして今年の夏、今度は釣り好きの友人が、私の勧めでロンドンレイクスへフライフィッシングを楽しみに行きました。その友人からついさっき、小包みが届いたのです。開けてみると中には、四キロ近くもありそうな鱒《ます》を釣り上げて得意満面の彼の写真と、手紙、そして失くしたはずの私のネクタイピンが入っていました。手紙にはこんな内容のことが書かれています。 「僕の釣った鱒の腹の中から、どうやら君のものらしいネクタイピンが出てきた。大当たり、とは正にこのことだな」  私は狐《きつね》につままれたような気持で、一年ぶりに再会したネクタイピンを見つめました。  すると昨年、湖畔のロッジに泊まった時に、鱒が私の部屋へ入ってきて、ネクタイピンを失敬していったというわけなのでしょうか。まったく不思議なこともあるものです。  アルプスの空気の缶詰  友人の家へ遊びに行った折に、彼の机の上を見ると、横文字のラベルを貼《は》った缶詰がひとつ、置いてありました。  よくよく眺めると、『アルプスの空気』と英語で書かれています。いったいこれは何なのか尋ねると、友人は照れ臭そうに笑い、三年ほど前にスイスを旅行した時のお土産だと答えました。  アルプスの空気が入った缶詰。もちろん、まだ開けてありません。ところが手に取って振ってみると、何やらカラカラと小石のような音がします。空気なのに、こんな音がするのはおかしいじゃないかと、私は尋ねました。すると友人は、まんざら冗談でもなさそうな顔で、 「アルプスの空気は冷たいから、中で凍ったんだよ」  と、そんなことを言うのです。缶詰を開けてみればはっきりするのでしょうが、友人は決して開けようとはしません。目をつぶり、耳元で缶詰を振って、カラカラと涼しげな音を聞いていると、アルプスの白い山々が浮かんでくるのだそうです。どうやら缶詰の中にはアルプスの空気だけでなく、彼の思い出も詰まっているようです。  コート・ダジュールの巻貝 「私の耳は貝の殻。海の響きを思い出す」  そう歌ったのは、フランスの詩人ジャン・コクトーですが、実は私の机の引き出しの中にも、そんな不思議な貝殻がひとつ仕舞ってあります。  コート・ダジュールの砂浜で拾った、紫色の巻貝。  形はなるほど人間の耳にそっくりです。手に取って、そっと耳にあてがい、しばらくじっと息を殺していると、どこかから海の響きが聞こえてくるのです。ある時は静かなさざ波の音。またある時は猛《たけ》り狂った高波の音。その時々で海の響きの具合は、微妙に違います。おそらくこれは、コート・ダジュールの海の響きなのでしょう。だから私はこの貝殻を耳にあてがうたびに、 「おや、今日の浜辺は荒れているらしい」  とか、 「今日は絶好の海水浴日和みたいだ」  などと、遠いコート・ダジュールの浜辺を思い浮かべるのです。  こんな不思議な貝殻。もちろんお譲りする気はありませんが、あなたがコート・ダジュールの浜辺でこれと同じものを見つけるのは、そんなに難しいことではないと思います……。  シェイクスピアの惚れ薬  シェイクスピアの戯曲『真夏の夜の夢』に登場する、ヘレナという女性を御存知ですか? 彼女は眠っている間に、目覚めたら最初に見た人を好きになってしまう惚《ほ》れ薬をまぶたに塗られて、本当は好きではなかった青年を愛し抜くようになってしまうのです。  この不思議な惚れ薬。シェイクスピアの創作だとばかり思っていたら、つい先日、イギリスのウェールズ地方を旅行した友人が、とある町で手に入れたのだそうです。  さっそく彼を訪ねて、どんなものか見せてもらったところ、それは銀色の平べったい容器に入った、白っぽい軟膏《なんこう》でした。鼻を近づけて匂《にお》いを嗅《か》ぐと、かすかにスミレの匂いがします。 「試してみたのか?」  と友人に訊《き》くと、彼は「もちろんだ」とうなずき、イギリスで彼がいかに女性にモテたか、吹聴し始めました。私は感心してその一部始終を聞き、それから帰りがけに、ほんの少しだけ、その惚れ薬を分けて貰《もら》って来ました。  今、私の手元にあるのですが、さて誰のまぶたに塗りましょうか。考えると、今夜はなかなか眠れそうにありません……。  時間が逆行する砂時計  その時私は長いアフリカ旅行を終えて、エジプトのカイロで帰国前の数日間を過ごしていました。  エアコンの効いた部屋と、洗いたてのシーツ。とても快適なホテル生活を送っていたある日のこと。私は、土産物を買いにホテル近くの市場をうろつきました。  市場の奥の薄くらがりの中で、店を広げていた初老のエジプト人に声をかけられ、立ち止まって商品を見ていたところ、ちょっと不思議なものを発見しました。一見しただけではただの砂時計なのですが、よく見ると、砂が下から上へ吸い上げられるように流れています。 「時間が逆行する砂時計だよ。これを持っていれば自由に過去へ行ける。ただし、三分前までだけどな」  初老のエジプト人はそう説明しました。もちろん私はこれを買い求め、ホテルへ持ち帰りました。  そして缶ビールとこの砂時計を持ってベランダへ行き、ナイル川に沈んでいく夕日を眺めました。ホテルの自慢は、この息を飲むほど素晴らしい夕日なのです。  私は夕日が沈み切ると、砂時計を逆さまにし、三分前へ戻って、何度も何度も夕日が沈む様子を眺めました。  思い出を売る店  もしあなたがエジプトを訪れる機会があるのでしたら、クフ王のピラミッドの近くで店を開いている『思い出を売る店』へ行くことをお勧めします。ただ天幕を張っただけのちっぽけな店で、中へ入ると、背の低い老婆が客を迎えます。  テーブルの上に、箱がひとつ。この箱の上へ手を置いて、自分が手に入れたい思い出の日付と場所を唱えればいいのです。  私の場合は、まず半信半疑で、 「一九七〇年、八月十日。日本、大阪の思い出」  と唱え、箱を開けてみました。  おそるおそる覗《のぞ》いてみると、中には一枚の写真が入っています。写っているのは、二十年前の大阪の万博会場を訪れた時の私の姿でした。今よりもずいぶん若く、髭《ひげ》をたくわえていて、Tシャツの胸にスマイルバッジをつけているので、思わず私は苦笑してしまいました。  思い出を売る不思議な店。少々料金はかかりますが、もちろんあなたは試してみたいと思うでしょう?  アガサ・クリスティーの部屋  イスタンブールのホテル・ベラ・パラスには、アガサ・クリスティーが『オリエント急行殺人事件』を執筆したといわれる部屋が、今もそのままの姿で残っています。  私がこのホテルを訪れた昨年の夏。支配人に頼んで、わざわざアガサ・クリスティーの部屋へ泊まらせてもらったのです。  とても蒸し暑い、寝苦しい夜でした。  私は真夜中過ぎまで寝つかれずに、ソファの上でクリスティーのペーパーバックを読みふけっていました。夜中の二時を回った頃でしょうか、不意に遠くで汽笛が響くなり、疾走する列車の音がこちらへ近づいてきました。  私はソファから飛び起きて窓の外を眺めましたが、列車の姿などどこにも見当たりません。あわてて受話器を取り、この轟音《ごうおん》は何の音だとフロントへ電話をかけてみたところ、ねむたげな声のフロントマネージャーは、こう答えました。 「大丈夫、音がするだけです。これもまたアガサ・クリスティーがその部屋へ残したミステリーのひとつ、というわけですよ」  思い出のスパイス  七月二十五日の深夜。私は既にベッドの中で眠り込んでいたのですが、突然飛び起きました。猛烈にカレーが食べたくなってしまったのです。 「ああ、またあの日から一年|経《た》ったのだな」  私はそう思いました。あの日というのは、五年前の七月二十五日のことです。  私はインドのニューデリーに滞在していました。そして現地で友人になった男の家に招待され、夕食をともにしました。  彼は自ら世界一|美味《うま》いカレーというのを作り、私にふるまってくれたのです。そのカレーは本当に美味《おい》しかったので、私が絶賛すると、彼はにこにこ笑いながらこう言いました。 「これは我が家に伝わる�思い出のスパイス�を使ったカレーです。あなたは今後、死ぬまで今日の日を忘れないでしょう」  彼の言葉は本当でした。翌年もその翌年も、七月二十五日になると、私は彼のふるまってくれたカレーの美味しさを思い出し、無性にカレーが食べたくなってしまうのです。  私はベッドから起き上がり、台所へ行ってカレーを作り始めました。残念ながら味の方はあまり褒められたものではありません。来年からは、毎年七月二十五日はインドへ行くことにしよう。  そんなふうに考えながら、私は鍋《なべ》の中のカレーをゆっくり掻《か》き回しました。  冒険少年を探して  子供の頃に読んだ本の主人公たちは、みんな冒険の旅を愛する少年ばかりでした。  トム・ソーヤ、ハックルベリー・フィン、エルマー、ピーター・パン、星の王子さま、十五少年……。  どの少年も、いきいきとした足取りで、未知の世界へと旅立っていったものです。山賊や海賊と闘ったり、蛇や竜と友達になったり、宝物を発見したり、自分の日常生活とはまったく違う、素晴らしい世界がきっとどこかにある。子供心にそう信じて、いつか自分も旅立つのだと心に決めていたものです。  今、確かに私はもう少年ではなくなってしまいましたが、見知らぬ土地を旅行するたびに、あの本の主人公たちを探してしまうのです。さっき擦れ違ったむぎわら帽子の少年はトム・ソーヤに似ていた、あの水平線の向こうに見える影は十五少年たちのいかだではないのか。  そんなことをつい考えて、いつの間にか物語の世界を旅している自分に気が付くのです。  夜の章  万華鏡の夢  長い間モンゴルを旅していた友人が帰国して、彼の家でパーティが開かれました。ごく内輪の、小さな飲み会ですが、もちろん私も二つ返事で参加しました。  宴たけなわになった頃、彼は旅行|鞄《かばん》の中から古ぼけた万華鏡を取り出して、見せてくれました。彼の話によると、それは不思議な万華鏡で、目をあてて覗《のぞ》くと遥《はる》か昔に栄えた帝国の遊牧民族の姿が見える、ということでした。  もちろん私はすぐに覗いてみました。  が、普通の万華鏡と何ら変わったところはなく、ただ向こう側の景色が色とりどりの模様になって映るばかりです。私は一杯くったのだなと判断し、飲み直すことにしました。  ところがその夜。ベッドの中で見た夢は、砂漠の夢でした。どこまでも続く砂丘に、騎馬の一団が並んでこちらを眺めているのです。その中央に立つ男は切れ長の目をしていて、ちょうど何かの本で見たチンギス・ハンのような顔をしていました。  数日後その友人に会った時に、万華鏡は何ともなかったが、その夜にモンゴルの夢を見たよ、と話すと、彼は微笑《ほほえ》んで、 「誰が覗いた時に見えると言った?」  と、そんなふうに答えました。  穴の正体  何が起きてもおかしくない大陸。それが南米であると、ある作家は言っています。なるほど実際に足を踏み入れてみると、それがあながち大袈裟《おおげさ》な比喩《ひゆ》ではないことに気付きます。  例えば私が去年ブエノスアイレスに滞在した時、こんなことがありました。  ガイド役をかって出てくれた地元の少年が、町外れの森の中を歩いている時に、ちょっと不思議な穴があるんだけど見てみたいかいと尋ねてきました。  好奇心の強い私は、すぐさまうなずき、彼の後についていきました。行ってみるとその穴というのは、それほど大きなものではなく、ちょうど人が一人入れるくらいのサイズでした。ただ、かなり深いらしく、覗き込んでも真っ暗で何も見えません。  この穴のどこが不思議なのか、私は少年に尋ねました。すると彼は、辺りを憚《はばか》るように声を低め、こう言いました。 「この穴はさ、真夜中になると立ち上がってそこらへんを歩き回るんだよ」  私は少々背筋を寒くしました。その立ち上がった穴に飲み込まれた人間はどうなるのか、おそるおそる尋ねてみたところ、少年は首を横に振りました。戻ってきた者が一人もいないので、どうなるのか誰も分からないのだそうです。  南米というのは、そういうことが起きても不思議ではない場所なのです……。  プエブロ族の粘土  ニューメキシコ州アルバカーキから西へ約百キロ。まるで火星のような風景のアコマの里に、アコマ・プエブロ族の居留地区があります。この荒涼とした土地を訪れた時に、私はプエブロ族の青年から友好の印として、拳《こぶし》ほどの大きさの粘土を貰《もら》いました。この土地では粘土を焼いて作った美しい陶器が有名なのですが、私が貰った粘土は少々特殊なものでした。 「これを使って、好きなものを作るがいい。ただし、足の生えたものを作ってはいけない。逃げ出してしまうからね」  プエブロ族の青年は、そんなふうに不思議なことを言いました。この粘土で作ったものは命を持つようになる、と言うのです。その時はなるほどと納得して粘土を貰ったのですが、帰国してからいよいよ何かを作ってみようとした時に、私は彼の忠告を忘れてしまいました。  粘土をこねて、馬の形の置物をこしらえてしまったのです。  一日かけて満足がいくものを作り、窓際に置いて乾かしておいたところ、翌朝になってみると、馬の置物は影も形もなくなっていました。見ると、部屋の床に点々と小さな足跡がついています。どうやら馬は命を得て、どこかへ走り去ってしまったらしいのです。  もし貴方《あなた》のご近所で、体長二十センチくらいの小さな馬が走っているのを見掛けたら、ぜひご一報下さいませんか。それは私の馬です。  裏の東京  夢の話です。  私は、どこだか分からないけれども南の島の気配がする空港に降り立ちました。入国審査と税関を抜けて空港のロビーへ出ると、東洋人の男に出迎えられました。彼が運転する車に乗り込むと、急にあたりの風景が変わったような気がしました。南の島の長閑《のどか》さが消え、都市の雰囲気が漂い始めたのです。 「ここはどこですか?」  私は尋ねました。すると男は不審げに、 「どこって、君はここがどこだか知らないのに飛行機に乗ってきたのかい?」  と尋ね返してきました。私は返答に詰まり、車窓の外の風景へ目をやりました。建ち並ぶ高層ビルの果てに、かなり背の高い鉄塔が見えます。よくよく目を凝らすと、それは東京タワーでした。私は混乱しました。成田から飛行機に乗ったはずなのに、何故《なぜ》自分は東京に着いてしまったのか、全然分からなかったのです。男は私の動揺を見てとったのか、笑い声をたててこう言いました。 「ここは日本から見るとちょうど地球の裏側にあたる、裏の東京だ。街を歩いていれば君自身に会えるかもしれないよ」  その言葉を聞いたとたん、私は目覚めました。そしてベッドの中で、ここは表の東京なのか裏の東京なのか、しばらく思案にくれてしまいました。  エアメールの事情  その夜、家へ帰ると、郵便受けに一通のエアメールが届いていました。さっそく部屋へ入り、ベッドに横になって封を切ると、タヒチを旅行中の友人からの手紙でした。  ただ、どういうわけか日付が三カ月も前のものなのです。いくらエアメールといっても、届くのに時間がかかりすぎています。手紙の内容を読み進む内に私はいつしか瞼《まぶた》が重くなってきて、そのまま眠り込んでしまいました。  夢の中で、私は一通のエアメールに変身していました。額のあたりにスタンプを押され、送り先別に区分けされているところです。  どうやら、タヒチの郵便局のようでした。  続いて私はエアポートへ運ばれ、貨物便に乗せられたのですが、送り先を間違えられて、イギリスへ着いてしまいました。ロンドンの郵便局員が舌打ちを漏らして、また私を送り先別に区分けする箱の中へ放り込みました。  この郵便局から、私はまたエアポートへ運ばれ、ようやく日本へ向かう貨物便に乗せられたのです。  目が覚めた時、私はへとへとに疲れ切っていました。エアメールが三カ月も遅れて届いた理由は、果たして私が夢に見た通りだったのでしょうか。  アンディ・ウォーホール?  昨日の晩のことです。  夜中に空腹を感じて、キッチンの引き出しをごそごそやっていると、奥の方からトマトスープの缶詰が出てきました。さっそくあたためて飲もうと思い、缶切りを探していると、背後から誰かが私の肩を叩《たた》きました。  驚いて振り向くと、そこにはアンディ・ウォーホールが立っていました。私が唖然《あぜん》として言葉を失っていると、 「スープをごちそうしてくれ」  と彼は言いました。そういえば私の飲もうとしていたトマトスープは、彼が作品として描いたことのあるキャンベルの缶詰です。断る理由も見当たらないので、私はスープをあたためてから二つの皿に取り分け、ウォーホールと向かい合って飲みました。  彼はとても無口で、スープを飲んでいる間もほとんど口をききません。私はちょっと居心地が悪くなって、世間話のつもりで「最近は忙しいのかい?」と尋ねました。すると彼は腕時計に目を走らせて、 「ああ、今夜もこれからパーティなんだ」  そう言い残して、ふっと消えてしまいました。机の上には、キャンベルのトマトスープの空缶がころんと転がっているばかりです……。  らくだの腸のシェード  そのホテルの部屋は、ごくありきたりなインテリアで、これといった特徴はありませんでした。  唯一、目についたのは、ベッドサイドのテーブルに置かれたスタンド。中近東風の模様が描かれた、小さなものです。明かりをつけると、シェード越しに淡い光を投げかけてきます。一風変わったデザインなので、ちょっと気に止まりました。  結局私はそのホテルに三泊したのですが、不思議なことに、毎晩同じ夢を見ました。  果てしない砂漠を、ゆっくりと歩いている夢です。一晩だけならいざしらず、さすがに三日連続となると、少々気にかかります。  朝食の後、ホテルのマネージャーにその話をしてみると、彼は「何でもない」といった様子で、それはスタンドを点《つ》けて眠ったせいですね、と答えました。 「あのスタンドのシェードは、らくだの腸を乾かして彩色したものなのです。つまり、あなたはらくだの夢を見たのです」  マネージャーは気楽な調子でそう言うと、片目をつぶって見せ、忙しげにフロントの奥へ引っ込んでしまいました……。  マサイの布  私の部屋のリビングに置いてあるロッキングチェアには、色褪《いろあ》せた赤い布がかけてあります。  これは数年前、ナイロビを訪れた時に友達になった、マサイ族の青年からのプレゼントです。牛追いを仕事としている彼が体に巻き付けていた布を、どうしても譲ってくれと私が頼み込んだのです。  マサイ族のしきたりとして、青年は成人が近づくと、槍《やり》を持って闇夜《やみよ》にたった一人でライオンを仕止めなければなりません。このライオン狩りの成功をもって、彼は一人前の勇者として認められるのです。大昔から続くこの習慣のために、ライオンはマサイ族の匂《にお》いを嗅《か》ぎ分け、彼らの前では猫のようにおとなしいと言います。  そんなマサイ族の青年が身につけていた赤い布。この布にくるまって眠ると、ちょっと不思議な夢を見ることができるのです。  夢の中にはライオンが登場し、私のことを背中に乗せて、ナイロビの草原を疾走してくれます。緑の匂いと熱い風、そして躍動するライオンの筋肉。そんなものがはっきりと感じられます。  マサイ族の青年に貰《もら》った不思議な布。もしあなたがライオンの夢を見たいのなら、一晩だけお貸ししてもいいのですが……。  物語るペルシャ猫  私の飼っているペルシャ猫はたいへん無口で、滅多に口を開きません。空腹を感じても押し黙ったまま、ただ体をすりよせて来て、餌《えさ》を求めます。  猫のくせに愛嬌《あいきよう》がない奴《やつ》だと思われるかもしれませんが、その代わりに、とても珍しい特徴があります。  私が眠っていると、枕元《まくらもと》へ来て、時々ペルシャ語で喋《しやべ》るのです。夢の中で、私はペルシャ語のレッスンを受けます。そして遠い遥かな昔の、ペルシャの物語を聞きます。  王様や、美しいお后《きさき》。魔術師や、不思議な絨毯《じゆうたん》の話。  ペルシャ猫の語るペルシャの物語は、冒険とロマンに満ちていて、私を決して退屈させません。夢中になって聞いている内に、窓の外に朝が訪れます。  ベッドから起きて、枕元で丸くなっている猫に、話の続きをせがむのですが、夜が明けてしまうと、もう決して喋ろうとしないのです。  私は仕方なく、また夜を待つことにします……。  ライオンが吐いた毛玉  昨年アフリカのケニアを旅行した時のことです。私は現地で知り合ったマサイ族の少年に、素晴らしいプレゼントを貰いました。 「ライオンが口から吐いた毛玉だよ。持ってると幸運が舞い込むんだ」  少年はそう言いながら、拳《こぶし》ほどの大きさの茶色い毛玉を手渡してくれました。ところがその数日後、私のもとに舞い込んだのは幸運どころか身も凍るような不運でした。  その夜、私はサバンナの中にテントを張って休んでいたのですが、不気味な物音にはっとして目覚めました。ゴーゴーと唸《うな》る、鼾《いびき》のような獣の声です。おそるおそる外の様子を窺《うかが》うと、大きな雄ライオンが牙《きば》をむき出しにしてテントの周囲を巡っていました。私は息をひそめ、身を硬くして震えていました。そのうちライオンは焦《じ》れてきたのか、唸り声を上げながらテントを倒しにかかってきたのです。 「これで一巻の終わりか……!」  そう思って覚悟を決めた刹那《せつな》、ライオンは私と目を合わすなり、ゴロゴロと喉《のど》を鳴らして近づいて来ました。そして私の顔をさんざん嘗《な》め回した後に、サバンナの闇の中へと消えてしまいました。おそらく少年のくれた毛玉のおかげだったのでしょう。  しかしこれは幸運と呼ぶべきなのでしょうか。それとも不運だったのでしょうか?  銀色のライオン  あれは五年ほど前のことでしょうか。  ケニアを旅行した時に、ポーターの青年たちと三人で、ナイロビ郊外の草原でキャンプを張ったことがありました。  焚《た》き火を囲んで酒を酌み交わしている内に夜がとっぷりと暮れてきました。ちょうど深夜零時を過ぎた頃です。ポーターの青年が、夜空を指差して何か叫びました。  見上げると北の空に、白い大きな流れ星が流れていくところでした。私はあわてて願い事を唱えようと思いましたが、その途中で言葉を失ってしまいました。その星は輝きを増しながら、こちらに向かって流れてくるのです。  あっと叫んで目をつぶった次の瞬間、辺りに雷鳴のような音が轟《とどろ》き、地面が激しく揺れ動きました。しばらく後に目を開けてみると、私たちのキャンプ地から数百メートルほど先の丘の上に、煙がたなびいていました。驚いて目を見張っていると、ちょうど流れ星が落下した中心で、何かがのそりと動きました。それは銀色に輝く一頭の雄ライオンでした。ライオンは、私たちに一瞥《いちべつ》をくれると、あっという間に草原へ向かって走り去ってしまいました。  あれは、夢だったのでしょうか。今ではもう記憶が曖昧《あいまい》になってしまって、何とも言えません。  もしあなたがナイロビへ行って、銀色のライオンを見掛けることがあったら、きっと私に連絡して下さい……。  こうもり傘からの電話  真夜中。私はベッドの中で電話のベルの音を聞きました。意識がはっきりしてくるまで、四回ほど呼び出し音をやりすごしてから、受話器を取り上げます。 「もしもし? 私はこうもり傘ですが」  電話の相手は、そんなことを言いました。私は聞きまちがいなのか、夢なのか、はっきりしないまま生返事をしました。すると相手は、焦れったそうな口調でこう言いました。 「先週あなたがロンドンを旅行した時、空港のロビーに忘れてきたこうもり傘です」  私は眉《まゆ》をひそめ、考え込みました。そういえば確かに先週、ロンドンの空港で、買ったばかりのこうもり傘を失《な》くしたまま、帰国したのです。 「近々、またロンドンへ来る予定はないのですか?」  こうもり傘は、そう尋ねました。私は遠慮がちに、しばらく旅行する予定はないと答えました。するとこうもり傘は怒ったように、 「そうですか。では私は、今向こうから歩いてくるオランダ人に拾われることにします。ごきげんよう」  そう言って、乱暴に受話器を置きました。  夜の蝋人形館  ロンドンにある蝋《ろう》人形の博物館、マダム・タッソー館のことはきっと御存知でしょう。私もこの蝋人形館のファンで、ロンドンへ行くたびに、時間さえあればここを訪れることにしています。  先日、久し振りに行ってみたところ、何度も来ているので顔を覚えてくれた係の人が、 「よかったら夜、閉館した後に入ってみないか。昼間よりもずっと面白いよ」  と誘ってくれました。もちろん私は一も二もなく承諾し、その夜、閉館してからもう一度訪れて、中へ入れてもらいました。  しんと静まり返った館内に、樹木のように立ち並ぶ蝋人形たち……。その様子はさながら幽霊屋敷のようです。私はどきどきしながら館内を巡り歩きました。  と、その時、誰もいないはずの私の背後で何かが動く気配がしました。驚いて振り向くと、この博物館の創始者であるマダム・タッソーの蝋人形が動いたようなのです。さっきまで立っていたはずなのに、今は座っています。私はぎょっとして出口へ走り出してしまいましたが、後を追ってきた蝋人形館の係の男は、こんなふうに言いました。 「この蝋人形館はフランス革命の翌年にオープンしたんだ。二百年も歴史がある。そんなに長い間立ってたんじゃ、いくら蝋人形だって、たまには座りたくもなるさ。そうだろう?」  明日起きる素晴らしいこと  ロンドン。テムズ川のほとりに建つ古いホテルで、私は奇妙な体験をしました。  夜、なかなか寝つかれないので、私はベッドから抜け出してライティングデスクに向かいました。ふと思いついて引き出しを開け、中に入っていた聖書を取り出してぼんやりとページを開いたのです。するとそこには一枚の封筒が挟んでありました。そして驚いたことに、封筒の表に私の名前が書いてあったのです。どういうことなのかと訝《いぶか》りながら開けてみると、中には便箋《びんせん》が一枚入っていて、こう書いてありました。 「明日、あなたにとって素晴らしいことが起きます」  日付は一九二三年、つまり七十年も前に書かれた手紙です。私は混乱して頭を抱えました。するとどういうわけか、頭の中にジョン・パトリックという名前が浮かびました。そこでホテルのレターセットを取り出して、封筒に�ジョン・パトリックへ�と表書きし、便箋に「明日あなたにとって素晴らしいことが起きます」と書いて封をしました。その手紙を聖書の同じページに挟んで、私はベッドにもぐり込みました。十年先、二十年先、あるいは百年先になるかもしれませんが、ジョン・パトリックなる人物がこの手紙を読むであろうと、私は確信しました。  それにしても明日起きる素晴らしいことというのは、一体どんなことなのでしょうか? 楽しみで、眠れやしません。  火の狐  フィンランドには「火の鳥」ならぬ「火の狐《きつね》」が住むという伝説があるのを御存知ですか?  土地のガイドの話によれば、火の狐が尻尾《しつぽ》を振ると無数の火花が飛び散って、空を一面に焦がしてしまうのだそうです。  その話を聞いた翌日の夜。なかなか眠りにつけなかった私は、ホテルの近くにあるトナカイ牧場まで散歩をすることにしました。  満天の星が降るような、素晴らしい夜でした。  あまりの美しさに空を仰いで溜息《ためいき》を漏らしていると、不意にトナカイを見張っているラップ犬が唸《うな》り声を上げました。見ると、木の陰に青白い光を放つ不思議な動物が、こちらの様子を窺《うかが》っています。目を凝らすと、その動物は確かに狐の形をしていました。  驚きながら私が二、三歩近づくと、その狐は敏捷《びんしよう》にジャンプし、そのまま空へ舞い上がっていきました。そして夜空を緑、青、白、ピンク、赤とカラフルに染め上げながら、星の彼方へと消えてしまいました。  火の狐。フィンランド語で「レボントリー」というこの言葉は、オーロラという意味もあるのだそうです。  駒たちの里帰り  久し振りに部屋の整理をしていると、押入れの奥から小さな箱が出てきました。開けてみると、中にはチェスのセットが入っています。ずいぶん昔、まだ学生だった頃に、ロンドンの下町で買ったものです。  なつかしくて、私はそれを取り出し、駒《こま》をひとつずつ並べてみました。するとどういうわけか、白のクィーンとナイトが消え失せていました。いくら探してみても、見つからないのです。 「クィーンの奴《やつ》、ナイトに跨《また》がってロンドンへ里帰りでもしたかな」  私は独り言を呟《つぶや》いて、チェス・セットをしまい直しました。  ところが翌日になって、どうも気になるのでもう一度箱を開けてみたところ、ちゃんと白のクィーンとナイトの駒が入っていたのです。一体どこへ隠れていたのでしょうか。  手に取って眺め、顔を近づけてみると、ほのかに雨の匂《にお》いがします。  どうやら二人は、本当にロンドンへ里帰りしていたようです。クィーンの駒に刻まれた女王の横顔が、満足そうに微笑《ほほえ》むように見えたのは、私の目の錯覚でしょうか……。  エミューの絵  オーストラリアのパースで、私は一枚の絵を買い求めました。アボリジニアートと呼ばれる、独特の手法を用いて描かれた絵です。大きさはレコードジャケットほどの小さなもので、画面には深い緑の森と、極彩色の巨鳥エミューが描かれています。  日本に持ち帰ってさっそく壁にかけてみたところ、何だか様子がおかしいことに気付きました。買った時、エミューは向かって右側を向いていたはずなのに、今は左側を向いているのです。不審には思いましたが、まあ私の勘違いということもあります。あまり気にせずに、その日は眠ることにしました。  明けて翌朝。壁にかけた絵を眺めてみると、エミューは昨夜よりもずいぶん太っています。  どういうことだろうと首をかしげながら台所へ行き、冷蔵庫を開けてみたところ、私はすべてを理解しました。  冷蔵庫の中へ入れておいた野菜が、きれいに消えていたのです。そして代わりに、冷蔵庫の野菜室の中には、極彩色のエミューの羽が一枚、落ちていました。  振り返ってもう一度絵を眺めると、エミューはいつのまにか私の方を向いて、可笑《おか》しそうに大口を開けたポーズを取っていました……。  レニングラードからのラブレター  真夜中。もう寝支度を整えてベッドに入ろうとしていたところ、書斎のファックスの受信音が響きました。  今頃の時間に、誰がファックスを送ってきたのだろう?  訝《いぶか》しく思いながら書斎へ行って、送られている最中のファックス用紙を確かめてみると、まったく身に覚えのない内容でした。日本語ではなく、ロシア語かあるいは東欧の国の言葉で書いてあったのです。  確かめてみると、発信元はレニングラードでした。文章の最初に、住所が書いてあります。そして手書きの文字が延々と続き、末尾には女性のキスマークが添えられていました。  私は首をかしげ、その手紙をしげしげと眺めてみましたが、残念ながら私にはロシア語は分かりません。キスマークから想像すると、女性から男性に宛《あ》てたラブレターのような内容が想像できます。しかしそれ以上のことは何も分かりません。  見知らぬ国の見知らぬ女性から突然に送られてきた一枚の色っぽいファックス。  ロシア語の得意な友人に頼んで翻訳してもらおうかとも思いましたが、何だかそれも気が引けます。海を越えたラブレターに水をさすなんて、無粋なことのように思われるものですから。  幸運の訪れを  昨年旅をしたミクロネシアの小島で、私は大変珍しい星の砂を見つけました。小さな星型をした淡いピンクの砂で、地元では「流れ星の砂」と呼ばれているのだそうです。  その星の砂を見つけたのは、島の村はずれにある小さな砂浜でした。月の輝く夜に、宿を抜け出してぶらぶら散歩していると、海の方で何やらチカチカ光るものが見えました。気になって行ってみると、砂浜が月の光を浴びて、まるで満天の星空のように美しく輝いていたのです。ちょうどそばに居合わせた村人が、 「海に落ちた流れ星が波に砕かれ、運ばれてできた砂浜なんだよ。昔からこの星の砂を持っていると、必ずいいことがあると言われているんだ」  と、島に伝わる言い伝えを教えてくれました。もちろん私はポケットからハンカチを取り出して、この星の砂を包んで持ち帰りました。  今でも、月の輝く夜になると、この砂はぼうっと明るく輝き出します。それを眺めながら、私は幸運の訪れを心待ちにしているわけなのですが……。  流れ星のグラス  商用でヨーロッパを旅行中の友人から、小包みが届きました。開けてみると中には、ミッドナイトブルーに彩色されたグラスがひとつ。よく見ると、流れ星が幾つか描かれています。友人の書いた手紙には、こうありました。 「これはデンマークで手に入れた�流れ星のグラス�というものだ。星空を眺めながらウイスキーを楽しんでくれ。おもしろいことが起きるぞ」  私はさっそくその晩、友人の勧めに従って、ベランダで星を眺めながらこのグラスでウイスキーを飲み始めました。すると、確かに不思議なことが起きたのです。私が一口、グラスに口をつけるたびに、夜空に星がひとつ流れるのです。まるでこのグラスに向かって落ちてくるかのように。  一口ごとに星が流れる不思議なグラス。  私は夢中になって何杯も何杯もグラスを重ねてしまいました。  確かにこのグラスでウイスキーを飲むのは楽しいのですが、唯一の欠点は翌朝ひどい二日酔いになってしまうことでしょうか。おかげで今もまだ、頭痛がおさまらないのです。  眠りの椅子  フィンランドへの旅行が決まった時、私はぜひ家具屋へ行ってみようと考えていました。がっしりした木製のベンチがひとつ、どうしても欲しかったのです。  ヘルシンキに着いたその日から、私はさっそく家具屋めぐりを始めました。が、なかなかこれといったベンチは見つかりません。探しあぐねた挙句、私は新品の家具を買うことはあきらめて、街はずれにある古道具屋を訪れました。するとその店の奥まった所に、私のイメージ通りのベンチが置いてあったのです。さっそく店の主人にかけあったところ、彼は不思議なことを言いました。 「あなたは不眠症ですか?」  と彼は私に尋ねたのです。いいえ、と私が首を振ると、彼は「ではお売りできません」と答えました。  聞けばそのベンチは�眠りの椅子《いす》�と呼ばれるもので、座って目を閉じるとたちどころに眠り込んでしまうような、不思議な力があるのだそうです。私は何度も頼み込みましたが、主人は頑として首を縦に振ってくれません。しかたなく私は、じゃあ一度だけ試しに座らせてくれと頼みました。  主人の許しを得て、そのベンチに腰掛けると、なるほどすぐに瞼《まぶた》が重くなってきて、私は二時間ほど眠り込んでしまいました。  もしあなたが不眠症なら、フィンランドへ行って、この�眠りの椅子�を買うことをぜひお勧めするのですが。いかがですか。  フィンランドの赤い星  北欧フィンランドには「悪戯《いたずら》星のニンフ」と呼ばれる星の妖精《ようせい》がいて、時折現れては道行く人々に悪い悪戯をするのだそうです。  思いおこせば先日、ヘルシンキを訪れた私にもこんなことがありました。  星の美しい夜のことです。友人の家ですっかり深酒をしてしまった私は、ホテルへと続く深い森の中の道を急ぎ足で歩いていました。しかし不思議なことにいくら歩いても、ホテルの姿が見えてこないのです。私は三時間も森の中の同じ道をぐるぐると回ってしまいました。  見上げると頭上には赤い星が、私を嘲笑《あざわら》うかのように冷たく輝いています。  心身ともに疲労|困憊《こんぱい》した私は、その場に座り込んで気を失ってしまいました。そして気がついたら、ホテルのロビーのソファに座っていたのです。  後日この話を友人にしたら、彼は即座に、 「悪戯星の妖精だな。赤い星が出ていただろう?」  と答えました。  ところでつい先程窓の外を眺めたら、驚いたことにフィンランドと同じ赤い星が顔を出していました。  これから夜道を急ぐ方は、充分にご注意下さい……。  地球そっくり  深夜、ふと夜空の星を見上げるたびに思い出すのは、ノルウェーの田舎町で出会った天文博士のことです。  博士というのは私が勝手にそう思っているだけで、本当はただ星を眺めるのが好きな老人に過ぎません。禿《は》げ上がった頭に、白い髭《ひげ》。その容貌《ようぼう》は子供の頃、歴史の教科書に載っていたガリレオ・ガリレイを想《おも》わせました。  私が滞在している間、辺りが薄暗くなってくると、彼は毎日町外れの小高い丘の上にあまり本格的とは言えない天体望遠鏡を据えて、熱心にそれを覗《のぞ》いているのでした。  あまり楽しそうな様子なので、ある晩、私は思い切って彼に話しかけ、望遠鏡を覗かせてもらいました。  いったいどんな星を観測しているのだろうと目をこらすと、そこに見えたのは、地球そっくりの星でした。青々としていて、海と大陸があって、日本らしき島も見えます。私は驚いて老人に、 「これはどこの星ですか?」  と尋ねたのですが、彼はにやにや笑うばかりで答えてくれません。  あの時、私が見た地球そっくりの星は、何という星なのでしょう。心当たりのある方は教えてくれませんか……。  バクの夢  日曜日の午後。天気がよかったので、私は久し振りに動物園へ出掛けました。  日差しの強い日で、私はできるだけ木陰を選んで歩きました。水飲み場の近くにある檻《おり》の前で一人の少年と出会ったのは、ちょうど正午を回った頃でした。少年は檻の中をじっと覗き込み、身じろぎもしません。 何を見ているのだろうと思って背後から近づくと、檻の中には一匹のバクが寝そべっていました。 「どうかしたのかい?」  そう声をかけると、少年はハッとした表情で私を振り返り、照れくさそうに笑いながら答えました。 「昨日の晩、このバクがぼくの夢を食べに来たんで、今日はぼくがこいつの夢を食べているんだ」  私はへえと驚いてみせ、バクは今どんな夢を見ているのか訊《き》いてみました。 「ブラジルの深い森の中で、イチジクを食べている夢だよ」  少年は生真面目な顔でそう答え、おかげでお腹がいっぱいになったよと、自分の腹を叩《たた》いてみせました。  檻の中では、横たわったバクが、何だか不服そうな顔をして寝息を立てています……。  地上絵の描き方  南アメリカをぐるりと旅行することが決まってからというもの、私は毎晩、妙な夢を見るようになりました。  だだっ広い平原の真ん中に、私は立っているのです。そして自分でも理由が分からないまま、傍らに置いてある棒を手に取って、地面に線を引いているのです。土くれや砂利をガリガリと引っ掻《か》きながら、私は延々と何百メートルも線を引いていきます。そして適当な所まで行くと、また引き返してきたり。とにかくその繰り返しなのです。  続けて一週間、同じ夢を見た挙句に、私は少々気味が悪くなって、このことを友人に相談してみました。  彼はしばらく思案顔で考え込んだ後に、本棚から一冊の本を持ち出して来て、私の目の前で広げました。 「この絵に見覚えはないか?」  と言いながら彼が指し示したのは、不思議な形の鳥を描いたナスカの地上絵でした。  私はそれを見るなり、ああそうだ私はこれを描いていたのだ、と感じました。眠っている私を、誰かが古代のナスカへいざない、地上絵を描かせたのでしょうか。  翌日から、私はこの夢を見なくなりましたが、今回の南アメリカ行きのスケジュールを一部変更して、ナスカへ行ってみることにしたのは言うまでもありません。  変わるネームプレート  エクアドルに滞在中の友人から、手紙とともに小包みが届きました。  開けてみると、中からは真鍮《しんちゆう》のネームプレートが出てきました。表面には私の名前がローマ字で彫刻してあります。添えられていた友人の手紙には、こんなことが書いてありました。 「繁華街をブラついている時に、ちょっと面白い夜店を見つけて、そこへ入ってみたところ、こんなものを売りつけられた。ご覧の通り真鍮製のネームプレートだが、君の名前を彫ってくれた老婆の話によると、とても不思議な力があるのだそうだ。ここに彫刻した名前の人物が、心清い人ならば、プレートの材質が真鍮から銅、銅から銀、銀から金へと変化するらしい。逆に心悪《あ》しき人ならば、プレートはやがて腐って消えてしまうそうだ。というわけで、ぼくはその老婆の話を信じ、友人の中でも最も心の清い君に、このプレートを送る。せいぜい重宝してくれたまえ」  私は手紙を読み終え、改めてネームプレートを手に取りました。今のところ何の変化もないようですが、果たして明日の朝、どうなっているでしょうか。  楽しみなような、怖いような気分です。  詩人からの誘い  ベルギーのスタヴロにある一軒のホテルには、こんな標示板がはめこまれています。 「一八九九年十月五日の明け方。詩人ギョーム・アポリネールはその青春の一季節をすごせしこの家を立ち去りし」  十九歳だったアポリネールはこのホテルに滞在し、宿泊費をためこんだ末に、ここから夜逃げをしたのです。その逸話を知っていた私は、このホテルを訪れた際に、アポリネールの泊まった部屋を用意してもらいました。  夜。部屋のベッドに横になって本を読みふけっている内に、いつしか私はうたた寝をしてしまいました。  どれくらいの時間が経《た》ってからでしょうか、物音がして私は目覚めました。見ると、部屋の扉が半分開いて、一人の若者がそこから出て行くところだったのです。一目見て、私にはそれがアポリネールだと分かりました。目が合うと、彼は悪戯《いたずら》っぽい微笑《ほほえ》みを浮かべて顎《あご》をしゃくり、一緒に来いと誘いかけてきました。私が「行けない」と首を振って応えると、彼はがっかりしたような表情を浮かべて、足早に立ち去ってしまいました。  一人になってみると、私はすごく勿体《もつたい》ないことをしたと後悔し始めました。アポリネールは私をどこへ連れて行く気だったのでしょう。一緒に行ったなら、どんな冒険が私を待ち受けていたことか。考えると、残念でなりません。  味の章  ワインになった夢  スペイン、アンダルシア地方。九月になると、この土地の小さな村々ではブドウの収穫祭が始まります。祭のハイライトは何と言っても、最終日の正午から行われるブドウ踏みの儀式です。巨大な桶《おけ》に収穫したばかりのブドウをいっぱいに入れ、祈りを捧《ささ》げた後に四人がかりでそれを踏みしだくのです。  私は幸運にも、観光客代表ということでこの儀式に参加しました。裸足《はだし》になって桶の中へ入り、他の三人と一緒にブドウを踏ませてもらったのです。 「今夜はいい夢を見るぜ」  一緒に儀式に参加した若者が、ブドウを踏みながら私にそう囁《ささや》きました。その時は何のことか分からなかったのですが、翌朝、私はその言葉の意味を知りました。  夜、ホテルのベッドで私が見たのは、自分が一本のワインに変身している夢でした。赤ワインに変身して、ゆらゆら揺れていると、見たこともないような美女が近寄ってきて、私を一気に飲み干しました。その気分たるや筆舌につくしがたい、素晴らしい酔い心地でした。  アンダルシアのワインに変身する不思議な夢……。  おそらくこれは、ワインの神様が褒美として私に与えてくれたものなのでしょう。  親友の酒 「親友の酒」という不思議な酒のことを御存知でしょうか。  数年前、私がモンゴルを訪れた時のことです。この地では、ゲルつまりテント小屋を訪れる人には、必ずアイラグと呼ばれる馬乳酒をふるまう習慣があります。  私がガイドとともに訪ねたゲルの主人は、あから顔の中年の男でしたが、酒が進むにつれて段々陽気になり「もう結構」と断る私に、どんどん酒をついで飲ませました。ゲルの中にある酒をあらかた飲んでしまうと、彼は「とっておきが一本ある」と言って小さな酒壜《びん》を懐から出しました。 「これは親友の酒という飲み物だ。杯を交わした者同士は、死ぬまで親友になる」  そう言って彼は私の杯を満たしました。  半信半疑のままその酒を口にしたところ、驚いたことに私は目の前の彼に対して、深い友情を感じ始めてしまったのです。我々はおおいに盛り上がって酒盛りを続け、翌日、硬い握手を交わして別れました。  その後、私はモンゴルを訪れていませんが、彼に対しては未《いま》だに深い友情を感じています。  モンゴル秘伝の「親友の酒」。あなたも、仲違いをしている友人がいるようなら、ぜひ一緒にモンゴルを訪ねることをお勧めします。  レモンの中の人食い鬼  友人の家でお茶をごちそうになっていた時のことです。  その友人は紅茶用のレモンスライスを運んできながら、こんな話を始めました。 「セイロンに集まった世界中の人食い鬼たちが、たった一個のレモンの中に身を隠しているという話を知ってるかい?」  私がいいや、と答えると、それはインドの古い言い伝えで、もしも心正しき人が、目をつぶってそのレモンを切り刻んだなら、中に潜んでいる鬼たちは残らず死んでしまうのだと教えてくれました。そこで私は、目の前に出されたレモンスライスを取り上げて、これはどこのものだと尋ねました。すると、それはスリランカ、つまりセイロン産のレモンだという答えが返ってきました。 「じゃあひょっとすると、このレモンの中に人食い鬼がいるかもしれないのか?」  そう尋ねると、友人はうなずいてこう答えました。 「その通り。でも俺《おれ》は心正しき人じゃないし、目をつぶってレモンを切り刻めるほど器用でもないから、人食い鬼たちは相変わらず世の中にのさばり続けていられるわけだ」  醍醐とは何か?  ステージの醍醐味《だいごみ》、山登りの醍醐味、というように使われる醍醐味という言葉。誰でも耳にしたことはあるはずですが、では、醍醐味の�醍醐�とは何のことなのか? 答えられる人は少ないはずです。  仏典をひもとくと、その答えが分かります。醍醐とは牛乳を精製して作った濃厚甘味な薬用食品。簡単に言うとバターのようなものらしいのですが、古くは薬として用いられていたようです。そこから転じて、仏の最高の教えのことも、醍醐と言います。  先週インドのデリーを訪れた時、私は偶然、本物の醍醐を手に入れることができました。千年も前から、醍醐作りを代々続けてきたという店を発見したのです。  現在の主はまだ二十歳ぐらいの青年で、私があれこれと質問すると、人なつっこそうな笑顔を浮かべて答えてくれました。 「とにかく疲れた時にはこの醍醐を指先ですくって、嘗《な》めればいい。ただあんまり嘗めすぎると、何日も眠れなくなるよ」  若い主は親切にそう言ってくれたのですが、私はその注意を無視してしまいました。あんまり美味《おい》しいので、つい大量に嘗めてしまったのです。はっと気付いた時には、一壜の半分がなくなっていました。  おかげで私は、かれこれ六日間も眠っていません。  不思議なビール  友人から送られてきた小包みを解いてみると、中には世界のビールの詰め合わせが入っていました。  時期外れの御中元のつもりなのでしょうか。一緒に入っている手紙を読むとこんなことが書いてあります。 「不思議なビールの詰め合わせを贈ります。これを飲んで、外国語に堪能になってください」  何が不思議なのかよく分かりませんでしたが、とにかく飲むことにして、まずドイツの黒ビールから栓を開けました。  一口飲んで、しばらく経《た》ったところ、確かに不思議なことが起きました。私はいつのまにかドイツ語で独り言を言っているのです。  試しに今度は韓国のビールを飲んでみると、韓国語が口をついて出てきました。ギリシアのビールを飲めばギリシア語、ロシアのビールを飲めばロシア語が話せるようになるのです。  おもしろいので次から次に飲んでしまい、気が付いた時には、私はかなり酔っぱらっていました。  最後に飲んだのはフランスのビールです。しまった、と私はフランス語で舌打ちを漏らしました。来週イタリアへ行く予定があるのだから、イタリアのビールだけ残しておけばよかった。しかしもう後の祭り。仕方なく私はベッドに横たわり、フランス語のいびきをかいて寝てしまいました……。  力の鍋  先日トルコから帰ったばかりの友人から、帰国パーティの案内状が届きました。 『直径二メートルの巨大な鍋《なべ》をみんなでつつきあう一風変わったトルコ鍋パーティ』  というのが、案内状の売り文句でした。もちろん私は取る物もとりあえず、このパーティに駆けつけました。  賑《にぎ》やかな宴のはじめに友人は、こんな風に挨拶《あいさつ》しました。 「この巨大な鍋はかつてオスマン・トルコ帝国の軍隊が野戦用に使用していたものです。いわば無敵とうたわれたツワモノどものエネルギーの源。今宵《こよい》は、トルコのお土産にみなさんにこの無敵の力をプレゼントします」  挨拶が終わるのもそこそこに、私たちはさっそく鍋をつつき始めました。  一人二杯ずつ、中には五杯もおかわりをする者もいましたが、食べるにつれ、誰もが不思議な感覚にとらわれました。何だか体中から力がみなぎってくるようなのです。試しに、果物|籠《かご》に盛ってあった林檎《りんご》を手に取って、ぐっと握ってみたところ、こなごなに砕けてしまいました。信じられないような力です。  オスマン・トルコの不思議な鍋料理。今度このパーティがある時は、ぜひあなたをお誘いしたいと思います。  現れたイタリア人  ゆっくりと昼近くまで眠った日曜日。  こういう日の昼食は、自分で作るに限ります。メニューは、スパゲッティ。卵と生クリームをたっぷり使ったカルボナーラにしようと心に決めて、キッチンへ向かいます。  ずん胴の鍋に水をいっぱい入れて煮立て、イタリア製のスパゲッティをひと掴《つか》み。好い具合に煮えるまで、約八分。その間にベーコンを軽く焼き、卵と生クリームで和《あ》えます。  と、その時誰かが背後から私の肩を叩《たた》きました。  驚いて振り向くと、赤ら顔のイタリア人がそこに立っています。白い前掛けに、シェフハットを被《かぶ》っているところから察するに、料理人なのでしょう。彼は私に「正しいカルボナーラは、卵の黄身だけを使うのだ」とアドバイスしました。そして胸ポケットからショップカードを出して、私に手渡すと、 「世界一|美味《おい》しいカルボナーラを食べてみたかったら、ミラノにある私の店へ来なさい」  と誇らしげに言って、煙のように消えてしまいました。  まったくイタリア人というのは、おせっかいな人が多くて困りものです。おかげで、私のスパゲッティが煮えすぎてしまったではありませんか。  錨を下ろしたい場所  リスボンの港に近いうらぶれた酒場に入った時のことです。  カウンターで隣り合わせになった船乗りが、人なつっこそうな笑顔を浮かべて話しかけてきました。どこの国から来たのだ、という質問をきっかけにして、私たちはあちこちの港町について語り合いました。  アルコールが大分入った頃になって、彼はポケットから銀色のキーホルダーを取り出して私に見せてくれました。それは船の錨《いかり》の形をしたキーホルダーで、かなり古いもののようでした。 「これを持っていれば、美味《うま》い酒のあるところがすぐに分かるんだ」  彼はそう言いながら私にキーホルダーを手渡しました。そして自分の懐から安酒のポケット壜を取り出すと、錨のキーホルダーに近づけました。しかし、何も変化はありません。続いて彼はカウンターに置かれたグラスに、この店で一番高い酒を注文して注ぎました。そのグラスをそっと近づけると、驚いたことに錨のキーホルダーはぐぐっと重みを増して、掌で支えられないほどの重量が伝わってきました。 「美味い酒のあるところに錨を下ろしたくなるのは、人情ってもんだろう?」  彼はそう言って、片目をつぶって見せました。  お喋りなエスプレッソ  イタリアを旅行したことのある人なら、一度はバールでエスプレッソコーヒーを飲んだ経験があるはずです。  しかしお喋《しやべ》りをするエスプレッソコーヒーを飲んだことがある人はそんなにいないでしょう。ミラノにある私の行きつけのバールには、そんなエスプレッソコーヒーがあります。  カウンターに出されたコーヒーカップに耳を近づけ、じっと聞き入ると、コーヒーの表面に浮いた泡がプツプツと弾《はじ》けながら、お喋りをするのです。ある時は天気の話だったり、ある時は店に来る客の噂話《うわさばなし》だったり、その時々で色々ですが、とにかく聞き入っていると、時が経《た》つのも忘れてしまいます。  しばらくして、コーヒーのお喋りが止《や》んだかと思ってカップの中を見ると、エスプレッソ特有の表面に浮いた白い泡が、全部消えているのです。私はその泡のなくなったコーヒーを飲み干し、もう一杯注文します。  そんなわけで、私はミラノへ行くたびに、泡のないエスプレッソコーヒーばかりを飲んでいるのです……。  ウサギのシチュー  一説によると、フランス料理の中で一番|美味《おい》しいのは、ウサギのシチューなのだそうです。「じゃがいもとニンジンを入れてトロ火でぐつぐつ煮立てたウサギのシチュー。中でも肝の部分が絶品である」と、知り合いのフランス人が教えてくれました。  この料理を実際に味わうことができたのは、つい先日。フランスへ赴任していた友人の帰国パーティの席上でした。  その日は大変月がきれいな夜で、まさにウサギのシチュー日和と言えそうでした。友人の奥さんが作ってくれたウサギのシチューをさっそく試してみたところ、一口味わうなり、誰もがあまりの美味しさに言葉を失ってしまいました。何だか泣けてくるほどの美味しさなのです。周りを見回すと、私ばかりでなく全員が涙ぐんで、赤い目をしていました。すると友人の奥さんが台所から顔を覗《のぞ》かせて、私たちを見るなり、 「おやおや、みなさん、もうウサギになっちゃったのね」  そう言って微笑《ほほえ》みました。  目がウサギになってしまうほど美味しい、ウサギのシチュー。あなたもフランスへ行ったらぜひ試してみてはいかがですか。  何になさいますか?  ロンドンでカクテルが飲みたくなったら、サボイホテルのアメリカン・バーをお勧めします。『サボイ・カクテル・ブック』という有名な本を出していることで知られる、由緒あるホテルのバーです。  先日ロンドンを訪れた時、私はこのサボイホテルのバーを訪ねてみました。カジュアルな椅子《いす》とテーブルが並んだ空間に、ウエイターが数人。これといって特徴のない雰囲気です。私がカウンターにつくなり、ウエイターの一人がやって来て、 「何になさいますか?」  と尋ねました。そして私の答えを待たずに、 「かしこまりました。ベルモットですね」  そう言ってカクテルの用意を始めたのです。私は呆気《あつけ》にとられました。口には出さなかったけれど、ベルモットを注文しようと思った矢先だったのです。運ばれてきたベルモットは実に美味《うま》く、私はすぐに飲み干してしまいました。次の注文をしようとウエイターを呼ぶと、彼はまた先程と同じように、私が口を開く前に、 「ドライマティーニですね」  と答えるのです。今度も正解です。  注文をする前に注文が分かってしまうバー。  カクテル好きの人には堪《たま》らないでしょうが、調子に乗ってついつい注文しすぎてしまうのが、この店の欠点でもあります。  特別製とうもろこしアイスクリーム  銀座にあるブラジル料理屋で、私はメニューの中になつかしいものを見つけました。とうもろこしのアイスクリームです。数年前、二カ月ほどブラジルに滞在した折に、私は毎日このアイスクリームを食べていたものです。さっそくボーイを呼んで、とうもろこしのアイスクリームを注文したところ、奥から日系二世らしい主人が現れて、にこにこしながらこんなことを言いました。 「おめでとうございます。あなたが、当店でとうもろこしのアイスクリームを注文した千人めのお客さまです。記念と言っては何ですが、特別製のものをお出しします」  どういうふうに特別なのか、と尋ねると、主人は意味ありげに笑いながら、それは召し上がれば分かります、と言うのでした。  運ばれてきたとうもろこしのアイスクリームは一見したところ、何の変わりばえもしないものでした。ところが食べてみて驚きました。このアイスクリームを嘗《な》めると、ブラジル語が自由自在に操れるようになるのです。  私は店の主人とブラジル語で会話を交わし、すっかり陽気な気分になって店を出ました。  特別製のとうもろこしアイスクリーム。この次にブラジルへ行く時はぜひこれを大量に買い込んで、クーラーボックスに入れて行こうと思います。  卵のマリブ風 『パパ・ユア・クレイジー』。これはロックンロールのタイトルではなく、ウイリアム・サローヤンが書いた小説の題名です。  舞台はマリブ海岸。海辺のコテージに住む変わりものの父親とその息子の物語なのですが、この中に�卵のマリブ風�という料理が出てきます。父親は息子に、この料理の作り方を説明します。 「熱いオリーブ油ににんにくを少々。ピーマン十分の一をみじんぎりにしたもの。パセリ二本。ありあわせのチーズ。卵は二個、ボールに割って塩胡椒《こしよう》をする。牛乳少量。小麦粉少々」  これらをフライパンで炒《いた》め、卵の両面をこんがりと綺麗《きれい》な金色に焼き上げたものが、卵のマリブ風なのだそうです。  このくだりを読むなり、空腹を覚えてしまった私は、さっそく台所へ行って卵のマリブ風を作ってみました。が、残念ながら小説に描かれているほど、美味《おい》しく感じませんでした。これは私の腕のせいなのでしょうか。それとも、�マリブの潮風�という大事な材料が抜けているせいでしょうか。  もしあなたがマリブ海を旅行する機会があるのなら、ぜひ浜辺のコテージで�卵のマリブ風�を作って、どんな味がしたか、私に教えて下さい。  バルザック・ブレンドコーヒー  パリの下町を散歩している時に、ふと立ち寄ったカフェには、不思議な名前のコーヒーがありました。  バルザック・ブレンドというのが、そのコーヒーの名前です。何かいわくがあるのかと、カフェの女店員に尋ねたところ、彼女は待ってましたとばかりに、早口のフランス語で説明してくれました。  彼女の話によると、その昔、このカフェに立ち寄った文豪のバルザックが自らブレンドしたコーヒーなのだそうです。バルザックと言えば、コーヒー好きで有名なのを、私も知っていました。一日に百杯もコーヒーを飲んだという逸話が残っているほどです。  さっそくそれを注文して、飲んでみたところ、かなり酸味が強く、とても何杯も飲める代物ではありません。 「百杯飲めば、小説家になれるわよ」  と、女店員は笑って言いましたが、どうも私には無理なようです。そこで私はコーヒーのおかわりをする代わりに、ブランデーを一杯注文しました。小説家になるのは難しいですが、酔っぱらいになるのは簡単ですから。  一杯くった話  ミュンヘンのセバスチャンスプラッツにある小さな家具屋、ルーラント。主にバロック様式やビーダーマイヤー様式の家具を扱っているのですが、私の目的は別にありました。  ここのショウウインドウには、これらの家具に似合うようなビアマグ——つまりビールのマグカップが飾られているのです。前々からガラス製のビアマグを手に入れたかった私はこの店を訪れ、時間をかけてあれこれと品定めをしました。  そこへ店の主が現れて、 「一杯飲むかい?」  と声を掛けてくれました。見ると、彼は目の覚めるような青色のビアマグを手にしていました。中にはもちろん泡立つビールが入っています。私は礼を言ってこれを飲《の》み干しました。そしてあまりの美味しさに仰天し、 「これはどこのビールですか?」  と尋ねました。すると主は笑いながら、このビアマグに注ぐと、どんな気の抜けたビールも立ちどころに美味《うま》くなるんだ、と答えました。  私は即座にそのビアマグを買いたいと申し出ました。主はにやにや笑いながら、かなり値を釣り上げて、ようやく売ってくれることになりました。  ところが帰国してこのビアマグを使ってみたところ、ビールがそれほど美味くないのです。  私はがっかりしましたが、考えている内に笑ってしまいました。一杯くったとは、正にこのことです。  三十五年めのヤシの実  先日セイシェルを訪れた時に、ココ・デ・メールという大変珍しいヤシの実を手に入れました。  長い実が二つくっついて、まるで女性のヒップのような形をしています。譲ってくれた少年の話によると、セイシェル諸島のプララン島とキューリーズ島にだけしか生育しないヤシの実だそうです。 「ただし、食べてはいけませんよ」  その少年は、そう付け加えました。不可解に思って理由を訊《たず》ねると、このヤシの実を食べるには、政府の許可がいるのだと真顔で答えるのです。その時、道ばたに座って私たちの会話を聞いていた老人が、話に割って入りました。 「そのヤシの実は、芽を出すのに三年、その後二十五年めにしてやっと実をつけ、さらにその実が熟すのに七年もかかるんだ。全部で三十五年分の美味さなんだから、おいそれと食べてもらっちゃ困るんだよ」  その話に私は納得し、絶対に食べないと約束して、ココ・デ・メールの実を日本へ持ち帰りました。もちろんその約束通り、今もヤシの実は元の形のまま、書斎の本棚の上に飾ってあります。しかし、そろそろ実も熟してきた様子なので、次の休みを利用して、セイシェルまで食べる許可を貰《もら》いに行こうかと考えているところです……。  美味食器  昨年滞在したウィーンで、私は大変|可愛《かわい》らしい食器を見つけました。小さな太鼓の絵が描かれた、いかにも音楽の都らしい食器です。売ってくれた食器屋の主の話によれば、 「どんなまずい料理にでも美味《おい》しい舌鼓をうてる、幻の食器」  なのだそうです。私はさっそくその食器を包んでもらい、航空便で日本へ送りました。宛先《あてさき》は、料理が苦手な女友達です。これさえあれば、彼女の料理の腕も上がるだろうと考えたのです。  さて数週間後、帰国してすぐに私はその女友達の部屋を訪れました。彼女は手料理で私を迎えてくれたのですが、どういうわけか、ウィーンから送った不思議な食器を使っている様子がありません。 「ぼくが航空便で送った太鼓の絵の食器はどうしたんだい?」  私がそう尋ねると、彼女は複雑な表情で、 「あれ、この間落っことして割っちゃったの。ごめんなさい」  と答えました。私はがっかりして、彼女の作ったシチューを口に運びました。  残念ながら彼女は相変わらず味オンチで、そのシチューもかなり複雑な味がしました。  トランプたちとのトランプ  真夜中。一人でトランプ占いをしていると、テーブルの回りに次々と見覚えのある人物が現れました。  右側にジャック、左側にクィーン。そして向かいの席にキングが座って、スタッド・ポーカーの始まりです。  さすがにトランプの世界の住人だけのことはあって、三人ともかなりの勝負師で、ゲームを続ける内に私はたじたじとなりました。  指を鳴らしてビールを注文すると、ボーイの恰好《かつこう》をしたジョーカーがそれを運んできました。口をつけて、飲み干そうとした瞬間、私はふと目が覚めました。  部屋には、誰もいません。  そのトランプは、ラスベガスを旅行した時に買い求めてきたものでした。やれやれと溜息《ためいき》をついて、一番上の一枚をめくると、意地の悪そうな顔をしたジョーカーが現れました。試しに指を鳴らしてみたのですが、もう何も起きません。  仕方がない。今夜のビールは自分で用意することにします……。  ペルーの黒飴  ペルーの首都、リマのミラ・フローレンス地区にある日本料理屋で、友人とともに歓談していた時のことです。  一通りの食事を終えた後、店の主人がわざわざテーブルへ来て、黒い飴《あめ》のようなものを差し出しながらこんなことを言いました。 「タイムマシンを召し上がりませんか?」  私たちが不審そうな顔をすると、店の主人は手にした黒飴について説明し始めました。  彼の話によると、その黒飴は不思議な力を持っていて、嘗《な》めている間だけ、過去へ戻ることができると言うのです。さっそく私たちは主人の勧めに従い、その黒飴を嘗めてみることにしました。  口へ放り込んで、五分ほど経《た》った頃でしょうか。  ふと周囲を見回すと、私はいつのまにかエル・ドラド——黄金の都の中に立っていました。まばゆいばかりに光輝く神殿や、美しく着飾った人々。その雑踏の中を私はおそるおそる歩きました。ところが口の中の黒飴が段々溶けてなくなってくるにつれ、周囲の風景はぼやけ始め、私はもとの日本料理屋へ戻っていました。  ペルー特産の不思議な黒飴。考古学者にぜひ嘗めさせてあげたいものです。  仙人の箸  先日中国を訪れた際に、北京《ペキン》の銀座と称されるワンフーチンの商店街で、私は一風変わったものを見つけました。  小さな雑貨屋の店内を冷やかしているうちに、ショウケースの中に飾られた金属製の箸《はし》に目がいったのです。一見したところ銀製のようで、表面に美しい竜の彫刻がなされています。さっそく店の主を呼んで、これを見せてくれと頼んだところ、彼はニヤニヤ笑いながらこう言いました。 「これは仙人の箸と言いましてね。霞《かすみ》や雲を食べるのに使うのです。だからあなたに仙人になる資格があれば、この箸は実に役に立つでしょうけど、どうですかね」  主の言い方が少々無礼だったので、私はちょっとムキになって、試しに持たせてくれと言いました。  主はショウケースの裏側のガラス戸を開けて、どうぞ持ってみて下さい、と言いました。そこで手を差し入れて、箸を持とうとしたところ、重くてビクともしないのです。主は残念そうに私の肩を叩《たた》き、 「仙人じゃないと持ち上がらないんですよ。私も何度か試してみたんですけどね」  そう言ってショウケースの戸を閉じました。  あなたがもし自分は仙人になる才能があると思うのなら、ワンフーチンの雑貨屋へ行ってこの箸を持ってみることをお勧めします。もし成功すれば、食費は一生タダで済みますよ。  美味しいテーブル  タイやビルマの伝統的な家具が欲しいと思うのなら、スクムビット通りを訪れてみることです。ここは家具屋街とも呼ばれるストリートで、道の両側にはあらゆるスタイルの家具屋が軒を並べています。  私がチーク材のシンプルなテーブルを買ったのは、スクムビット通りの一番端にある、小さな家具屋でした。何の変哲もないテーブルなのに、三万バーツの値段がついていたのにはワケがあります。 「このテーブルに食べ物を置くと、たちどころに味がよくなるんですよ」  家具屋の若い主が、そんなことを言ったのです。彼は自分の言うことが本当だという証拠を見せようと、オレンジを持ってきて私に手渡しました。皮を剥《む》いて一口食べると、ひどい酸っぱさです。顔を顰《しか》めて、これはまだ熟してない、と言うと、店の主はにやにやして食べかけのオレンジをテーブルの上へいったん置きました。 「さあ、もう一度食べてみて下さい」  おそるおそる齧《かじ》ってみると、なるほどさっきとは比べものにならない甘さです。私は即座に、このテーブルを買うことにしました。  スクムビット通りで手に入れた不思議なテーブル。明日船便で届くことになっているのですが、最初に何を食べてみようかと、昨日から思案しているところです……。  歩き回るお湯  タイ。プーケットからバスで北上すること四時間の、ラノーンという町に温泉が湧《わ》いていることを御存知ですか?  熱帯の温泉。  私たち日本人にとってはちょっと驚きですが、タイにはこの他にも十数カ所の温泉が湧き出ていると言われています。  実は私も、偶然ですが、タイで温泉を発見したことがあります。プーケットから東へ車で三十分。森の中にその温泉はありました。最初は湧き水かと思って近づいていったら、湯気が出ていたのです。触ってみるとかなり熱く、七十度近くありそうでした。一緒にいた現地のガイドも、こんなところに温泉が湧いているなんて聞いたこともない、と言って目を丸くしていました。私たちはその温泉でガイドの持っていた卵をゆで、南国の温泉卵としゃれこみました。これが実に美味《うま》くて、私もガイドもその味にうっとりしてしまったほどです。  ところがその翌日、もう一度同じ場所を訪れてみたところ、私たちの発見した温泉は影も形も消えうせていました。どこを探しても見つからないのです。  現地の老人の話によれば、プーケットには「歩き回るお湯」の伝説があるのだそうです。どうやら私が発見したのは、温泉ではなく伝説の「歩き回るお湯」であったようです。  それにしてもあの温泉卵の味。もう一度ぜひ味わってみたいものですが……。  ジャックがまいた豆  ルクセンブルクに住んでいる友人から、国際電話がかかってきました。何かとてもおもしろいものを見つけた、と言うのです。  ある日彼女が地元の家庭料理の店に入ったところ、豆のスープがとても美味《おい》しかったので、これは何の豆かと尋ねました。するとボーイは嬉《うれ》しそうに微笑《ほほえ》んで、 「これはちょっと特別な豆なんですよね」  と答えました。調理場へ行ってその豆を見せてもらったところ、これといって特徴のない青い豆だったそうです。しかしボーイが説明するところによると、これは『ジャックと豆の木』の物語に出てくる、あの豆なのだそうです。  庭にまいて育てると、一晩で天に届くほど成長してしまう。だからスリ潰《つぶ》して、スープにしてしまわなければならない。そんなふうにボーイは説明しました。  この一件を彼女は楽しそうに話した後、 「一粒分けてもらったのを、航空便であなたの所へ送ったわ」  と言いました。二、三日中には私の手元へ届くのだそうです。私は礼を述べましたが、考えてみるとこれは結構厄介な贈り物です。  まくべきか、まかざるべきか。私は思案にくれているところです。  恋の章  フォーチュン・クッキー  フォーチュン・クッキーというお菓子を御存知でしょうか。  これは中国のお菓子で、簡単に言うと、おみくじ付きクッキーです。中におみくじが入っているので、食べる時に少々気を使わなければなりません。  私が初めてこのフォーチュン・クッキーを食べたのは、台湾を旅行した時でした。町の小さな中華料理屋へ夕食を食べに行った折、食後にこのクッキーが出てきたのです。友人にその名前の由来を聞いて、注意深く食べてみたところ、確かに中からおみくじが出てきました。読んでみると、こんなことが書いてあります。 「もうすぐ店へ入ってくる者と、あなたは恋に落ちる」  私は驚いて、店の戸口の辺りへ目をやりました。何だか胸が高鳴ってしまいます。一体どんな女性が入ってくるのかと期待しながら見ていたところ、意外なことに入ってきたのは一匹の小犬でした。  しかしながら結果的に言うと、フォーチュン・クッキーに書いてあったことは正しかったようです。私はその小犬を貰《もら》い受け、今も部屋に置いて可愛《かわい》がっています。恋に落ちたと言えば、確かにその通り。もちろん、この犬は雌犬です。  恋する切手  カリブ海に浮かぶマルチニーク島を訪れた時のことです。カルベという村の小さな雑貨屋で、珍しい切手を見つけました。  咲きほこるアンスリウムの中で、クレオールの男女が楽しげにダンスをしている……そんな美しい図柄の古い切手です。売ってくれた店主の話によると、まだこの島がフランスの植民地だった頃に発行されたもので、大変貴重な切手なのだそうです。  また店主は、ガラスケースからその切手を取り出しながら、こんなことも言いました。 「この切手をラブレターに貼《は》ると、必ずうまくいくと言われているんだよ」  私はその言葉に促されるように、彼女に手紙を書くことにしました。そして翌日、さっそくその切手を貼って、海の向こうのあの人へ送りました。  果たして十日後の今日、彼女から返事が届きました。  まだ封は切らずに手元に置いてあるのですが、どんな返事なのでしょう? マルチニークの切手は、力を発揮してくれたでしょうか、どうでしょうか……。  重い病  数年前、大学時代の友人とオーストリアを旅した時のことです。  ウィーンの街角を二人で散策していると、突然友人が身体《からだ》の不調を訴えました。胸が苦しくてやりきれない、と言うのです。さっそく私は友人を促して、近所の薬局へ駆け込みました。いかにも歴史のありそうな店構えの、古い薬局です。カウンターの奥から現れた髭《ひげ》の主人は、友人の症状を聞いた後に、 「原因がはっきりしないので、これを飲んでみたらどうでしょう」  と言って何やら変わった粉末を棚の奥から取り出しました。 「ユニコーンの角を粉末にしたものです。昔から万病に効くと言われています。ひとつの例外を除いてはね」  私は半信半疑のままその粉末を貰い、友人に飲ませました。ところが彼の容体は一向に変わらず、相変わらずの青息吐息なのです。私は少々憤慨して、薬局の主人を睨《にら》みつけました。すると彼は申し訳なさそうに首を振りながら、こう答えました。 「例外があると言ったはずですよ。なにしろウィーンは美人が多いですからな」  言われて、私はハッと気付きました。おそらく先程立ち寄った花屋の娘でしょう。友人はユニコーンの角でも治らないほど重い病、つまり恋の病にかかったようです。  自制心ペンダント  女性の瞳《ひとみ》に男が感じるのは、美しさ。時として冷たさ……それは日本だけでなく、どこの国の男性でも同じ印象を抱いているようです。  例えば先日私が訪れたギリシアには、こんな古い言い伝えがありました。 「女の瞳に魔物住むなり。見つめられた男みな石になりけり……」  滞在して三日め。私はふとしたことから、その瞳の魔物を退治するという伝説のペンダントを手に入れました。人の目の形をした変わったペンダントです。  何故《なぜ》そんな形をしているのか? 譲ってくれた男の話によると、「目には目を」ということなのだそうです。このペンダントさえ身につけていれば、どんな美女の瞳の誘惑にも負けず、自制心を保っていられるという品です。  もちろん私は今もこのペンダントを身につけていますが、残念ながらその力を借りなければならないような場面に、なかなか出くわしません。いざとなったらペンダントを外すことにやぶさかではないのですが……。  キスという名の口紅  その時私はマドリードの市街にある繁華街で、探しものをしていました。  女友達に、口紅を買ってきてくれと頼まれていたのです。  渡された手書きの地図をたよりに、繁華街を一時間近くうろうろした挙句、ようやく指定された化粧品店に辿《たど》りつきました。 「キス、という名前の口紅をくれないか」  カウンターに立っていた女性の店員にそう告げると、彼女はちょっと驚いたような顔をしてから、 「恋人に頼まれたんですね?」  と意味ありげな微笑《ほほえ》みを浮かべながら訊《き》き返してきました。いや、ただの友達だよと答えると、彼女は棚の奥から口紅を取り出してきて、丁寧に包みながら、 「この口紅はちょっと特殊なんですよ」  と言いました。何でもこの口紅をつけてキスをすると、いつまでもキスの感覚が唇から消えないのだそうです。 「その女性は、きっとあなたとキスをしたいのよ。帰ったら、あなたの方から抱き締めてキスしてあげたら?」  女店員にそんなことを言われて、私はおおいに照れました。  キスという名の不思議な口紅。手に入れたものの、彼女に渡すべきかどうか、悩んでいるところです。  愛の大きさ  愛の大きさを計ることができたらいいのに、と思ったことはありませんか? 確かに愛は目に見えないからこそ尊いのですが、もしその大きさを計ることができたら……。  実は昨年、私はそんな願いをかなえてくれる道具を見つけました。場所はロンドン。ボンドストリートの西側に延びる裏通りの、小さな古道具屋で偶然見つけたのです。  その道具は一見したところ、体温計のように思えました。表面に目盛りが刻んであり、赤と黒の二種類がワンセットになったものでした。これは何ですかと店の主人に尋ねると、彼は得意そうにこう説明してくれました。 「そいつは愛の大きさを計る道具だよ。黒い方を男が、赤い方を女が持つんだ。相手に対する愛情がどれくらいの大きさなのか、目盛りを読めばすぐに分かるってわけさ」  面白そうだったので私はこれを購入し、日本に持ち帰りました。  さっそく試してみようと思ったのですが、適当な相手が見つかりません。そこで私の飼っている雌猫の足の下に赤い方を置き、黒い方を私が握って目盛りを読んでみました。私の方の目盛りは百二十を指していましたが、猫の方は二十五くらいのものです。私はちょっとがっかりしてしまいました。  人間の女性で試してみたら、どんなことになるのでしょう。興味はあるものの、怖いようでもあり、未《いま》だに試すことができずにいるのですが……。  ハート用マッチ  デンマークの西、バルチック海に面した小さな田舎街を訪れた時のことです。  街の中心部に古い教会があって、その隣にこぢんまりした雑貨屋がありました。入って右側の棚に小さなマッチが、ずらりと並んでいます。手に取って眺めてみたところ、ラベルにはデンマークの作家、アンデルセンの肖像画が描かれていました。人なつっこそうな店の主人が奥から現れると、私にこう言いました。 「それは、マッチ売りの少女が売っていたマッチです。愛する人の目の前で擦ってごらんなさい。相手のハートに火がつきますよ」  私はマッチ箱を開けて、中のマッチ棒を一本取り出してみました。  黄色い軸の先端に赤い燐《りん》がついています。見たところ何の変哲もないマッチですが、眺めていると何だか胸があったかくなってくるようなのです。 「むやみに擦っちゃいけないよ」  主人はそう言って笑いました。半信半疑のまま私はこのマッチを買い求め、日本へ持って帰ってきましたが、今のところまだ試してみていません。ハートに火をつけたい相手をまず探さなければならないものですから。  枯れない薔薇  チューリッヒに滞在中のある日、私はちょっとした気まぐれを起こして、ホテルの中にある花屋へ入っていきました。その夜、小さなパーティに招待されていたので、上着のポケットに薔薇《ばら》の花でも挿して行こうかと思ったのです。  花屋には、様々な種類の薔薇が置いてありました。私は一渡りざっと見回してから、一番奥のケースに一本だけ飾ってある赤い薔薇を指さして、 「それをくれないか」  と店員に言いました。するとその若い女性の店員は、驚くほど高い値段を口にしました。私は眉《まゆ》をひそめ、どうしてそんなに高いのか尋ねました。彼女の答えはこうです。 「これは決して枯れない薔薇なんです。もちろん造花じゃありませんよ。本物の薔薇だけど、枯れないんです。だからこれは普通の薔薇の千本分の値段がついてるんです」  私は納得しましたが、とても自分には買えそうにない値段なので、普通の薔薇を一本買うことにしました。  チューリッヒの枯れない薔薇。  もしあなたが本当に愛する人に花を贈るのなら、この不思議な薔薇を一本、買ってみてはいかがですか?  悲しみのスパイス  シンガポールのインド人街には、独特の匂《にお》いがあります。香辛料と土埃《つちぼこり》 のまじりあったような……少々宗教的な匂いとでも呼べば適当でしょうか。  私はその匂いを嗅《か》ぎながら、インド人街を散歩していました。こぢんまりした商店街には、なるほど香辛料の店が目立ちます。日本へ帰ってから美味《うま》いカレーでも作ってみようかと思い立って、私は香辛料の店のひとつへ入っていきました。  店先には様々な色彩の香辛料が並んでいます。その中に、緑色のソラマメのような形をした香辛料を発見して、私は手にとってみました。すると店の主人が憂鬱《ゆううつ》そうな顔で現れ、 「それは悲しみのスパイスですよ」  と言いました。聞けば、その香辛料を食べれば、悲しい思い出をひとつだけ忘れることができるのだそうです。  興味をひかれて、私はその悲しみのスパイスを大量に買い込みました。日本に持ち帰ってきましたが、まだ試してはいません。今度失恋でもした時に、ぜひ食べてみようと思っているのですが……。  水晶の色  仕事でスリランカに五年近く行っていた友人が、ある晩ひょっこり私の家を訪ねてきました。  帰国していたとは知らなかったので面食らいましたが、当然大歓迎です。久し振りに会う彼は、真っ黒に日焼けして以前よりも精悍《せいかん》な顔つきになっていました。 「面白いものを持ってきたよ」  彼はソファに腰を下ろすなりそう言って、ポケットからハンカチにくるまれた何かを取り出しました。中に入っていたのは鶏の卵ほどもある、大きな水晶でした。無色透明で、それこそ水のように澄みきった輝きをはなっています。 「ちょっと持ってみろよ」  彼にそう言われて、手にしてみると、驚いたことに水晶の色が赤く変わりました。どういうことだと尋ねると、彼は笑いながらこう説明しました。 「これは手にした人の心の色を映し出す水晶なんだ。赤く変わったところを見ると、お前誰かに恋をしているだろう?」  彼の言う通り、私は今ある女性に恋をしているところだったので、答えに窮して赤面してしまいました。  この水晶を彼女に持たせたら、どんな色に変わるのでしょう?  試してみたかったのですが、照れ臭くて友人に貸してくれと言い出せないまま、夜が更けてしまいました……。  アレキサンダー大王の香り  アレキサンダー大王と言えば、武勇伝ばかりではなく、数々の不思議な逸話の持主として有名です。  例えば、彼の体の匂いはまるで蜂蜜《はちみつ》のようで、女性がその匂いを嗅ぐと堪《たま》らなくセクシーな気持になってしまう、とか。男としては大変 羨《うらや》ましい話です。  自分にもそんな匂いがあれば……と思っていたところ、先日ギリシアを訪れた際に、アレキサンダーという名前の香水を見つけました。イオニア海に面したピルゴスという小さな街の、小さな雑貨屋の棚に、その香水は並んでいました。  さっそく手に取って嗅いでみると、まるでお菓子のように甘いバニラの匂いがします。 「この店に代々伝わる香水だよ」  レジの前に座っていた店の主人が、にやにや笑いながらそう言いました。 「アレキサンダー大王の体の匂いと、同じ匂いがするように配合してあるんだ。こいつをつけて目当ての女性とデートすれば、必ず思いを遂げられるよ」  半信半疑でしたが、私はこの香水を買い求めました。もちろん日本へ持ち帰りましたが、まだ一度も使っていません。  あまりつけすぎると、モテすぎて大変なことになると注意されたものですから……。  妙の章  うさぎの日  イギリスの湖水地方にあるソーリー村というところに、ピーターラビットの作者として知られる、ベアトリクス・ポターの生家があります。その建物は一般に公開されているのですが、木曜日から日曜日まで、何と週の半分以上が休館日となっています。  私がそこを訪れた時もちょうどその休館日にあたっていて、中へ入ることができませんでした。少々がっかりしましたが、それでも売店と庭だけは開いているというので、建物を回り込んで、庭へと抜けてみました。  なるほどそこは、いかにもピーターラビットが現れそうな、雰囲気のある庭でした。見渡すと、右手の隅の方に、パラソルを開いた売店が見えます。どんな土産物があるのかと近づいてみたところ、青くさい土の匂《にお》いがぷんと鼻につきました。売店で売っていたのはニンジンだったのです。驚いて売店の奥を覗《のぞ》き見ると、そこに立っていたのは私と同じほどの背丈のうさぎでした。うさぎは私を見るなり、 「何だ人間か。今日はうさぎの日だよ。人間は月曜日から水曜日までなんだからね」  そう言い残してぴょんぴょんと跳ね、庭を横切って建物の陰へ消えてしまいました……。  ウエスト自由自在ベルト  シンガポールのインド人街は、変わった店が軒を並べているので、ついつい余計なものを買ってしまいがちな場所です。  先日私がここを訪れた時に、ふらりと入ったのは革製品の店でした。店内にはバッグやポーチ、ベルトや靴など、ありとあらゆる革製品が鈴なりになっています。中でも私の気に入ったのは、細身の黒いベルトです。ちょっと丈は長いのですが、バックルの部分のデザインが気に入りました。買おうと思って店の主人に値段を尋ねると、彼はちょっと困ったような顔で、信じられないことを言いました。日本円で三百万円近い値段なのです。いくら何でもそれは高すぎる、と私が抗議すると、主人はこう答えました。 「これはちょっと変わったベルトでね。締めるとウエストが自然に細くなる力があるんですよ。日本人の女性の方は、この値段でも喜んで買っていかれますがね」  なるほど、と私は納得しました。何の苦労もなくウエストが自由自在に細くなってしまうベルト。  三百万円を安いと思う貴方《あなた》は、一度シンガポールのインド人街を訪れてみてはいかがですか。  バンコクから銀座まで  バンコク市内の渋滞のひどさは以前から有名でしたが、ここ数年はさらに深刻な状態になっています。  その時、私が乗っていたタクシーもこの渋滞にひっかかり、にっちもさっちもいかなくなってしまいました。帰国のための飛行機の時間が刻々と迫り、私はタクシーの中でまんじりともせずに過ごしました。すると運転手が振り向いて、 「お客さん、日本へ帰るんだっけ?」  と訊《き》いてきました。私がそうだと答えると運転手はにやりと笑い、 「一万バーツ出せば何とかしてあげるよ」  と持ち掛けてきました。私は本当にこんな状態から抜け出せるなら、二万バーツ出してもいいと答えました。すると運転手はオーケーと言って、急にアクセルをふかしました。  目の前が渋滞しているにもかかわらず、タクシーはあっという間に加速し、私が目を開けた時には、窓の外の風景が変わっていました。タクシーはいつのまにか、銀座の三丁目に到着していたのです。  私は茫然《ぼうぜん》とした状態のまま、運転手に二万バーツ手渡しました。彼は「毎度あり」と呟《つぶや》いてそれを受け取り、再びアクセルをふかしました。そしてバンコクのおんぼろタクシーは、銀座の渋滞の中へ煙のように消えていきました……。  前世を映す鏡  バンコク最大の露店市場、チャトゥチャック週末マーケットを御存知ですか?  チャトゥチャック公園に隣接したこの市場へ行けば大抵のものは手に入ります。もちろん熱心に探せば、私のように不思議なものを見つけることもできます。  私がこの市場で見つけたのは、一風変わった手鏡でした。  ゴムの木を手彫りで削り、そこに鏡が嵌《は》め込んであります。見た目も可愛《かわい》らしいし、コンパクトなサイズだったので買って帰ろうと思ったところ、意外なほど高い値段をふっかけられました。  何故《なぜ》そんなに高いのだと露天商の男に尋ねてみると、彼は少々不服そうに口を尖《とが》らせてこう言いました。 「この手鏡は前世を映す鏡だ。夜中の三時に自分の顔を映すと、そこに前世の姿が見えるんだ。特別な鏡なんだよ」  私は納得して、彼の言う通りの金を払い、手鏡を手に入れました。ホテルへ戻り、その日の内に夜更しをして確かめてみようと思ったのですが、どうも勇気が湧《わ》かないまま、日本へ持ち帰ってしまいました。  今も書斎の机の左端に、伏せて置いたままにしてあります。  今夜こそ確かめてみようかと、さっきから悩んでいるところなのですが……果たしてどんな前世の姿が映るでしょうか。知りたいような知りたくないような、複雑な気持です。  気紛れな腕時計  私が愛用しているアンティークの腕時計は、とても気紛れです。  数年前、香港の下町にある古い時計屋で買い求めたもので、メーカーも製造時期もはっきりとは分かりません。何の変哲もない手巻き式で、もちろん宝石などが嵌め込んであるわけでもありません。なのに結構高価な値がついていたということは、やはりいわくがあるからなのでしょうか。  この腕時計、実は持ち主の心の動きに合わせて、進んだり遅れたりするのです。  例えばつまらない会議などに出席して「早く時間が過ぎてくれればいいのに」と私が考えると、秒針の速度がはやくなり、あっと言う間に時が経《た》ちます。あるいは、恋人と一緒にグラスを傾けている時などは、逆にゆっくりと動くのです。  まるで、タイムマシンのような腕時計。  もちろん私はお譲りするつもりはありませんが、その気があるなら香港の下町にある時計屋を探してみてはいかがです? もしかしたらもうひとつくらい、置いてあるかもしれません。  思いがけない副作用  もしあなたが近々台湾を訪れる予定があるなら、台北《タイペイ》市内の漢方薬の店に一度は足を運ぶことをお勧めします。ただし、気をつけないと私のように必要のない薬まで買わされてしまうかもしれませんが……。  先日台北を訪れた私は、ホテルにチェックインするなり激しい頭痛に悩まされました。日本から風邪を持ってきてしまったらしいのです。  薬を手に入れようと街へ出て、近くにあった漢方薬の薬局へ入ったところ、仙人のような風貌《ふうぼう》の老人が出てきました。頭が痛いのだと訴えると、老人は無言のまま棚の上から丸薬を取り出しました。その場で飲むと、不思議なことにあっと言う間に頭痛は治ってしまいました。ところがその代わりにどういうわけか膝《ひざ》が痛くなってきたのです。そのことを言うと老人は、面倒臭そうにこう言いました。 「今飲んだ頭痛薬はたちどころに頭痛を治す。が、その代わりに膝が痛くなる。膝を治したいなら、今度はこれを飲むがいい」  ところが差し出された丸薬を飲むと、たちまち膝の痛みが消えた代わりに、今度は背中が痛み始めました。  そんなことを繰り返している内に、私は信じられないほど大量の漢方薬を買うはめに陥ってしまったのです。  台北の漢方薬——効き目は確かですが、思いがけない副作用にご用心下さい。  ダイエットお碗  中国、浙江《せつこう》省。ここは古くは越《えつ》と呼ばれていた場所で、越州窯という青磁の焼き物で有名です。  昨年ここを訪れた時、私は町中にある土産物屋で、なかなか可愛《かわい》らしいお碗《わん》を手に入れました。ちょっとざらざらした手触りの、見てくれの悪いお碗なのですが、特徴はその内側に隠されています。お碗の中を覗《のぞ》くと、子豚が一匹転がっているのです。ちょうど親指くらいの大きさの子豚——こいつがお碗の内側に貼《は》りつくような形で彫刻されているのです。 「このお碗は女性にプレゼントすると、きっと喜ばれるよ」  売ってくれた土産物屋の主人は、そう言って片目をつぶって見せました。可愛いからかい、と尋ねると、彼はこう答えました。 「このお碗に盛った御飯は、いくら食べても太らないんだよ。中にいる子豚が、カロリーを全部食っちまうんだな」  つまりダイエット中の女性にとっては、夢のようなお碗であるわけです。  最近、ウエストに自信がなくなってきた貴方《あなた》。その気があるなら中国の浙江省を訪ねてみてはいかがでしょう?  一粒の米の中に  中国へ旅行した友人が買ってきてくれた土産は、一粒の米でした。大袈裟《おおげさ》な桐《きり》の箱を開けると、中に黒い布が敷いてあって、その中央にぽつんと白く、米の粒が置いてあるのです。  たった一粒。もちろん食べるためではありません。 「拡大鏡を使って眺めてみるといい。米粒に万里の長城の絵が描いてあるんだ」  友人はそんなふうに説明しましたが、あいにく私の家には拡大鏡がありません。指先にその米粒をつけて、顔を近づけ、じっと目を凝らしてみましたが、無駄でした。  あんまり長い時間そうやって目を凝らしていたので、頭痛がするほどでしたが、万里の長城どころか、何かを描いてある痕跡《こんせき》すら認めることができません。  本当に描いてあるのでしょうか? 友人は大丈夫だとうけあいましたが、どうにも納得がいきません。  しかし本当だとしたら、これは面白い。米粒に描かれた万里の長城。そこには中国的なユーモアが感じられます。  どなたか、私に拡大鏡を貸してくれませんか?  タラウマラの球  メキシコ北部のチワワから太平洋岸のロスモナスという街を結ぶチワワ太平洋鉄道。この山岳鉄道の周辺には、今でもタラウマラという先住のインディオが多く暮らしていると言います。  先日この地を訪れた私は、峡谷を行く列車の中で知り合ったインディオの少女に、一風変わったものをプレゼントされました。野球のボールくらいの木彫りの球です。  聞くところによると、少女たちタラウマラは定住の地を持たず、いつもこの球を蹴飛《けと》ばしながら、山々を渡り歩いて暮らすのだそうです。日本から持っていったチョコレートを少女に差し出すと、彼女はにっこり微笑《ほほえ》みながらこう言いました。 「お礼にこれをあげるわ。この辺りの山を知りつくした不思議な球よ」  それからしばらくして、列車はディビサデーロという駅に着きました。私はそこから三時間ほど歩いた山あいの小さな村へ行く予定でしたが、厄介なことに道に迷ってしまいました。  日が暮れて身を切るような寒さが迫ってくる山道に一人。なすすべもなく途方にくれていると、突然、少女に貰《もら》った木彫りの球がバッグから飛び出し、坂道をころころ転がり始めました。  あわてて追いかけると、坂道の向こうに家々から煙の立ちのぼる小さな村が見えてきたのです……。  ちぎれた鎖の由来  アメリカの西海岸を、南へと旅している時に、ある小さな町の広場で偶然サーカスの一座に出会ったことがあります。  大きなコンテナがそこらじゅうに積んであり、一座は全員総出でテントを立てているところでした。どうやら人手が足りないらしくて、なかなか上手く立たないので、見兼ねた私は手を貸すことにしました。身長が二メートルもありそうな大男と一緒に、太いロープを引っ張ってテントの柱を立てたのです。  ようやく設営が終わると、大男は人なつっこい笑顔を浮かべて私に握手を求めてきました。信じられないほどの力で手を握られて、私は声を上げてしまいました。  大男はお礼にひとつ芸を見せてやろうと言って、重たげな鎖を持ち出してきました。それを自分の胸に二重に巻き付け、大きく息を吸って力を籠《こ》めると、ぶちッとちぎって見せたのです。  その時のちぎれた鎖の一部は、記念ということで分けてもらって、今、私の手元にあります。  大男の話によると、これを持っていれば力持ちになれるということでしたが、果たしてどうでしょうか。そういえば最近、友人からは「何だか逞《たくま》しくなったな。スポーツでもやっているのか」と訊《き》かれるのですが……。  吊り革を握れば  長いことニューヨークに赴任していた友人が帰国して、ひょっこり私の家を訪ねてきました。  ちょうど暇をもてあましていた私は、当然のことながら彼を大歓迎して、すぐに一杯やることになりました。  何杯めかのブランデーを飲み終えたところで、彼がバッグの中から出してきたのは、私への土産物でした。礼を言って、包装紙をほどくと、中から出てきたのは意外なことに電車の吊《つ》り革でした。 「ニューヨークの古い地下鉄の吊り革だ。ちょっと握ってみてごらんよ」  彼にそう勧められて握ってみると、不思議なことに目の前にニューヨークの地下鉄の風景が、映画のように現れました。  ごみごみした雰囲気、得体の知れない乗客たち、そして無数の落書き……。吊り革から手を放すと、それらはサッと掻《か》き消えてしまいます。 「ちょっと不思議な吊り革だろう?」  彼はそう言って片目をつぶってみせました。  握るだけで、ニューヨークの地下鉄の気分が味わえる吊り革。あなたも、一度試してみたいと思いませんか。  尖った鉛筆の事情  私の書斎にある古い机の上には、ちょっと変わった鉛筆削りが置いてあります。ずいぶん昔、まだ私が学生だった頃に旅行したボストンの文具屋で、土産代わりに買い求めたものです。  一見したところ、何の変哲もない鉛筆削りなのですが、新しい鉛筆を差し込んで、右手のレバーをくるくる回し始めると、事態は一変します。鉛筆の先が尖《とが》ってくるまでの数秒間、目の前にボストンの下町の風景が浮かんでくるのです。  それは白昼夢のようにぼんやりしたものではなく、まるで映画のように、はっきりした風景です。通りを歩く人の顔や、屋根の上を低く飛ぶ燕《つばめ》の姿まで、はっきりと見えます。そして鉛筆の先が尖って、レバーを回す手応えがなくなると同時に、その風景も消え去ってしまいます。  わずか数秒間の、ボストン観光。  あまり短いので物足りなく、次から次へと矢継早に鉛筆を削りたくなってしまうのは言うまでもありません。だから私の書斎机の引き出しの中には、尖った鉛筆がぎっしり詰まっているのです。  鳥の絵  ニューヨークのグリニッジビレッジにあるその小さな画廊には、大小様々な鳥の絵が飾られていました。  どれも本物と見まごうばかりの細密画ばかりです。画廊には変わった評判がたっていました。夜明けから開店の十時までの間、絵の中の鳥たちがキャンバスを抜け出して、思い思いに店内を飛び回るらしいというのです。  店をまかされている画家志望の青年は、毎晩水と餌《えさ》を換えてから店を出ます。そして開店前には店じゅうに散らばった鳥たちの糞《ふん》や羽を掃除するのです。絵を購入する人にもその辺の事情は詳しく説明され、鳥たちに自由な時間を確保してやることを厳重に注意されます。  この不思議な画廊が折からの不況で取り壊されたのは、つい最近のことです。  画家志望の青年は、閉店の際に鳥たちをみんな放してやりました。鳥たちは長い間面倒をみてくれた彼の周囲を旋回し、大西洋の方角へ飛び去っていったそうです。  珍しもの好きな私は、店が取り壊される前に訪れ、鳥の絵を一枚購入しておきました。可憐《かれん》なヒバリが描かれた小さな絵です。もちろん毎日餌と水をやって、大切に可愛《かわい》がっています。  過去行きの地下鉄  確かにニューヨークの地下鉄は危険ですから、遅い時間帯に一人で乗ったりすることは避けた方が賢明でしょう。私も、移動するのはいつもタクシーを利用しています。  しかし先週、パーティの帰りにどうしてもタクシーが掴《つか》まらなくて、仕方なく一駅だけ地下鉄に乗ってみたのです。改札をくぐり、人気のないホームで地下鉄が入ってくるのを待っていると、人のよさそうな顔をした黒人の青年が一人、私のそばへ寄ってきました。警戒して振り向くと、彼は人なつっこそうな笑顔を浮かべながら、 「過去へ行く地下鉄の切符だよ。赤は十年前、青は二十年前、黄色は三十年前へ行く切符だ。一枚買わないか?」  そう言って色のついた切符を差し出してきました。私はちょっと興味をひかれたのですが、結構だと言って断りました。すると青年は未練を残す様子もなく、どこかへ立ち去りました。その後地下鉄に乗り込んでから、私は少々後悔しました。  過去行きの地下鉄。  二十年前に降り立ったとしたら、私は、まだ学生でアメリカを一人旅している自分自身に会うことができたかもしれないのです。惜しいことをしました。  鳥の王の羽  もしエムパイヤステートビルディングの展望台へ上る機会があるのなら、一時間ほどそこで粘ってみることをお勧めします。運がよければ、年老いたインディアン風の男に声をかけられるかもしれません。彼は鳥の羽の髪飾りを買ってくれと、持ち掛けてくるはずです。  私がエムパイヤステートビルディングに上った時もそうでした。インディアン風の男はどこかしらつまらなそうな顔で、私に鳥の羽の髪飾りを買うよう、しつこく勧めてきました。値段を聞くと、結構高いので、私は断りました。すると彼はこう言うのです。 「これは鳥の王になることができる羽だ。髪に飾れば空を飛べるのだぞ」  もちろん私は信用しませんでした。軽くあしらい、あっちへ行ってくれと男を押しやりました。  すると彼は憮然《ぶぜん》とした表情で、持っていた売り物の羽を髪に飾り、両手を水平に上げたかと思うと、空高く舞い上がったのです。私は唖然《あぜん》としてその姿を見送りました。男の姿はあっという間に雲の上へ消え、それきり見えなくなりました。  あの羽を買わなかったのは、私の一生の不覚です。  もしあなたがニューヨークでこの男を見掛けたら、私の分も合わせてふたつ、羽を買っておいてくれませんか?  未来を見るサングラス  マサチューセッツ工科大学に留学し、そのまま向こうに住みついてしまった変わり者の友人から、数年ぶりに小包みが届きました。開けてみると中には、サングラスがひとつ入っています。添えられていた手紙には、こう書かれていました。 「これは未来の風景を眺めるサングラスだ。精密機械だから取り扱いに注意して、そっと掛けてみてくれ」  確かめてみるとサングラスのツルの部分には、小さな目盛りがついています。私はその目盛りを百に合わせて、サングラスをそっと掛け、窓から外の風景を眺めてみました。  家のすぐ隣には小さな公園があるのですが、驚いたことにサングラスを通して眺めると、そこには七十階もあろうかという巨大なビルが建っていました。目を凝らすと、そのビルの向こう側にも、見覚えのない巨大なビルが、林のように建ち並んでいました。  これがつまり、私の家の周りの百年後の風景というわけです。  以来、この未来を見るサングラスは私の旅の必需品となりました。どこへ旅行するにもこれを持っていき、百年後や二百年後の風景を眺めるのです。  今まで見た中で一番おもしろかったのは、やはり未来の中国の風景でした。どんな眺めだったのか、それはあなたのご想像におまかせしましょう。  怠け者ローファー  もともとはノルウェーの漁民たちが履いていた靴であるローファー。紐《ひも》を結ばないで素早く履けるので、この名前には「怠け者」という意味があります。  ローファーの中でも甲の部分に縫いつけられたベルトに切り込みの入ったものを、コインローファーと呼びます。昔はここに銅貨を差していたから、こんな名前がついたそうです。  ロンドンを旅行してきた友人が土産に買ってきてくれたローファーには、初めから一ペニーコインが差してありました。なかなかお洒落《しやれ》なデザインで足にもぴったりなので、私は彼に感謝し、さっそく翌日からこの靴を履き始めました。  ところがこのコインローファー、ちょっと不思議な力があるようです。履き始めた初日からそうだったのですが、街を歩いていると何かを踏みつけたような気がして、ふと足の裏を見ると、そこにコインが転がっているのです。ただ残念なのは、外国のコインばかり踏んでしまうことです。ペニー、コペイカ、スー、ペセタ……。しょっちゅうコインを踏みつけ、拾い上げるようになったのですが、日本の円はひとつもありません。  かくして私の部屋の金魚鉢の中には、外国のコインのコレクションができつつあります。海外旅行の際には、結構役立つかもしれませんが……。  砂時計を引っ繰り返す  ギリシアへ旅行した友人が買ってきてくれた砂時計は、アンティークとしてもかなりの価値がありそうな品物でした。  かなり古ぼけていて、ガラスの内側もところどころ曇っています。高さは十五センチほど。逆さにして砂を落とすと、何とも言えない、軽やかな乾いた音がします。デジタルの時計と比べてみても、その正確さはひけを取りません。ぴったり五分で、砂の最後の一粒が下へ落ち切ります。  私はこの砂時計がとても気に入って、毎日何度も引っ繰り返しては、五分という時の流れを肌で感じました。  ところがある晩のこと。いつものように机の上へ頬杖《ほおづえ》をついてぼんやりしていたところ、下へ落ち切ったはずの砂時計の砂が、逆流して上へ噴き上げる様子を垣間見《かいまみ》ました。咄嗟《とつさ》に腕時計へ目を走らせると、時間が五分、前へ戻っているのが分かりました。これは驚きです。私は夢中になって、何度も砂時計の砂を逆行させました。  おかげで今、私は約二歳ほど若返っている計算なのですが。いかがです? 先週より声が若くなっていると思いませんか?  過去を映す鏡  スペイン。マドリードで宿泊した、こぢんまりとしたホテルの一階には、あまり商売気のない土産物屋が店を開いていました。日常雑貨や薬、雑誌や煙草《たばこ》。日本風に言えば、何でも屋といった趣の店です。  この店の奥の壁に掛かっている、長方形の鏡が私の気をひいたのは、チェックアウトを済ませる直前のことでした。ロココ風の彫刻がなされた、古い鏡です。煙草を買うついでに、店の主人にこの鏡の値段を訊《き》いてみたところ、彼は首を横に振りました。 「あれは過去を映す鏡といって、特別なものなので、お売りできないんですよ」  私は彼の言葉の真意がよく分からないまま、鏡の前に立って自分の姿を見つめてみました。  しばらくそうやって眺めている内に、私は鏡の中の自分の顔が少しずつ若返っていくことに気付きました。驚いて見つめていると、五分ほどで、鏡の中には少年時代の私の姿が現れました。  過去を映す鏡。  あなたも子供の頃の自分に会いたいのなら、マドリードの小さなホテルを訪れてみては、いかがですか。  十歳の自分  デンマークで生まれた玩具と聞けば、誰でもあのレゴのことを思い出すでしょう。様々な色のブロックを組み合わせて作るこの玩具は、世界中の子供たちに愛されてきました。  コペンハーゲンに滞在した時、私はこのレゴを買うために、小さなオモチャ屋を訪れました。  店内は小さな子供たちでいっぱいでしたが、奥の方に、どういうわけか「大人のためのコーナー」という立て札の立ったスペースがありました。何となく心ひかれるまま、私はそのコーナーへ行って、置いてあるレゴをひとつふたつと組み立ててみました。初めの内は他愛ない、と思っていたのですが、組み立てていくにつれて私はすっかり夢中になり、我を忘れてしまいました。  およそ三十分ほど、そうやってレゴを組み立てた後に、ふと正面にある鏡に目をやった瞬間、私は仰天しました。  その鏡に映っていたのは、十歳の時の私の姿でした。レゴを組み立てている内に、いつのまにか私は子供になっていたのです。  もちろん、私はこの不思議なレゴを買い求めて、日本へ持って帰ってきました。童心に還りたい夜は、必ずこのレゴを出して、組み立てることにしています。  カエルの眼鏡  バリ島の土産物としてカエルの置物は有名ですが、カエルの眼鏡というものがあるのは御存知ないでしょう?  ウブドゥーのアマンダリホテルの近くにある、不思議な眼鏡屋で、私はこの眼鏡を見つけました。店の主人は大学で生物学を学んでいたというインテリで、私にこんな話を聞かせてくれました。 「例えば視覚、目の能力というのは生物によってずいぶん違うんだ。犬の視覚がモノクロであることはよく知られているが、じゃあカエルの視覚はどんなものか、君は知っているかね?」  私が知らないと答えると、彼はさも得意げにこう言いました。 「カエルの視覚は、自分に向かってくるものしか認識しないようにできているんだな。この眼鏡を掛ければ、それがどういうことかよく分かるよ」  そう言って手渡してくれたのが、カエルの眼鏡だったのです。  なるほど掛けてみると、これは奇妙です。近づいてくる車の姿は見えるけれど、遠ざかっていく車の姿はまったく見えません。  面白いのでひとつ購入してきましたが、考えてみれば、あまり役に立つ代物ではありません。こんなふうにして、私の部屋の押入れは役に立たないガラクタで一杯になってしまうのです。  マニャガハ島のサンダル  サイパンの沖合に浮かぶ小さな島、マニャガハ島。この島の西側の浜辺で、私は不思議なサンダルを手に入れました。浅黒い肌の少年が、日光浴をしている私のもとへ、売りにきたのです。  一見したところ、何の変哲もない革製のサンダルだったので、私は「必要ない」と言って初めは断りました。すると少年は、とにかくこのサンダルを履いて海へ入ってみてくれと言ってきました。  あまりに熱心だったので私は彼の言う通り、そのサンダルを履いて、目の前の青い海へと足を踏み入れました。すると不思議なことに私の体は海中へ沈むことなく、自由自在に海の上を歩くことができたのです。 「これがあれば日本まで歩いて帰れるよ」  その少年は楽しげに微笑《ほほえ》みながら、そう言いました。  もちろん私はこのサンダルを買い求めました。少々値段は高かったけれど、そんなことは何でもありません。とりあえずこれを履いて、マニャガハ島からサイパン本島まで海の上を歩いてみましたが、一度も沈むことなく辿《たど》り着きました。  さて日本まで歩いてみるか、どうするか。そのためにはかなりの体力が必要なので、思案にくれているところなのですが……。  マルクスの中身  ロシアの伝統的な民芸品である少女の姿をしたコケシ、マトリョーシカを御存知ですか。胴の部分からパカッと開く仕掛けになっていて、中からひとまわり小さなコケシが出てくるやつです。同じ要領でどんどん開けていくと、コケシはどんどん小さくなっていきます。  先日モスクワを訪れた時、これと同じ仕掛けのちょっと変わったコケシを発見しました。名付けてゴルバチョフコケシ。ソ連の大統領であるゴルバチョフの似顔が描かれた大きなコケシです。面白いのは、ゴルバチョフを開けると、中からブレジネフが。ブレジネフを開けると中からフルチショフが出てくるということです。その調子でどんどん開けていくと、フルチショフの中からはレーニンが、レーニンの中からはマルクスが現れます。  ところが、マルクスを開けてみようとした時、店の女主人が、 「それは開けない方がいい」  と声を掛けてきました。その中にはちょっと恐ろしい物が入っている、と言うのです。  私は結局このコケシを買い求めたのですが、未《いま》だにマルクスの中は何が入っているのか、開けてみていません。果たしてそこには何が入っているのか。あなたには想像がつきますか。  不良品だからね  ベルリンに滞在した時に泊まったホテルの一階には、小さなカメラ屋が店を開いていました。  いかにもドイツ人らしい、気難しそうな主人が、カウンターの奥でカメラの手入れをしています。私は冷やかしのつもりで中へ入って行ったのですが、ショウケースの中を覗《のぞ》いている内に、どうしても一台、手に入れたくなってしまいました。どのカメラもアンティークで、なかなか日本では手に入らないものばかりだったのです。  三十分ほど迷った末に買ったのは、メーカーの名前もはっきりしない、小型の一眼レフでした。幾らなのか尋ねると、店の主人はほとんど只《ただ》同然の値段を言いました。 「これは不良品だからね」  主人はそう言いましたが、どこがどう不良なのかまでは教えてくれませんでした。  その理由は、昨日やっと分かりました。  日本へ帰ってからこのカメラで写真を撮《と》り、現像してみたところ、写っていたのは写真を撮っている私自身の後姿なのです。二十四枚、すべてそんな写真でした。カメラマン自身の後姿が写ってしまうカメラ。確かにこれは、不良品に違いありません。  腹時計余話  妙な話ですが、私は腹時計を腕にしています。  昨年フランスを旅行した時に買ったネジ巻き式の腕時計が、ネジ巻きの量が少なくなると、まるでお腹の空《す》いた人間みたいに、グーグーと変な音を立てるのです。  手に入れたのはモンパルナスの街はずれ。道端に色とりどりの時計を並べて、学生風の男が売っていました。彼のセールストークはこうです。 「お腹が空くとグーと鳴る、人間みたいな時計はいかが」  私は少々不審に思いながらも、旅の思い出に一個買い求めることにしました。合成バンドのありふれた時計ですが、アンティークなデザインが気に入って、今までしていた時計の方はバッグの中へしまってしまいました。  滞在五日めのこと。私はとあるフランス料理屋へ入りました。空腹を覚えながら席につくと、同時に腕時計もグーと鳴り始めました。 「お前もお腹が空いたんだな」  と呟《つぶや》きながらネジを巻いてやると、時計はいかにも嬉《うれ》しそうに秒針を回し始めました。  それから一時間ほど経《た》った頃でしょうか、満腹になって席を立とうとした時、ふと時計を見ると、さっきまで元気よく動いていた時計がピタリと止まっています。でも、きっと疲れたのではありません。その時計のことですから、たぶん満腹になって眠ってしまったのでしょう。  いわくつきのネクタイ  ミラノへ行くと私は、いつも洋服を何着か買い求めることにしています。日本で買うよりもずっと安いし、さすがに洒落《しやれ》たデザインのものが沢山あるので、ついつい散財してしまうわけです。  今回ミラノを訪れた際には、ネクタイに惹《ひ》かれました。  目抜き通りを少し外れた細い路地に、小洒落たネクタイの専門店を発見したのです。入っていって選んでいると、趣味のいいイタリアンスーツに身を固めた店の主が出てきて応対してくれました。ショウウインドウに並んだネクタイはどれも素敵だったのですが、私が一番気に入ったのは、その主が締めているネクタイでした。 「それと同じものが欲しいんだが」  私がそう言うと、主はちょっと困ったような顔をして、こう答えました。 「これはお勧めできません。実はこのネクタイは一旦《いつたん》締めると二度と外すことができないいわくつきのネクタイなのです。見た目はお洒落ですが、苦しいものですよ。それでもよければ同じものが倉庫にありますが……」  私はちょっと考えてから、一本だけ購入することにしました。もちろん自分で締めるつもりはありません。意地悪な上司にでも贈ってやろうかと考えたのですが、今のところまだ箱に入れたまま、ドレッサーの奥にしまってあります。  鞄の告白  私が海外旅行のたびに使っている旅行 鞄《かばん》はもう十年近くも前に買ったものです。  さすがに長く使い込んだためか、あちこちガタがきていたのですが、この間イタリアへ行った際にとうとう口金が壊れて、締まらなくなってしまいました。そのまま捨ててしまうには余りにも愛着があったので、ホテルの中にある鞄屋へ行って、相談をしてみました。  五十がらみのでっぷりと太った店の主人は、しばらく私の鞄を調べた後、ずいぶんあちこち行ったのだね、と感心しました。 「分かりますか?」  と私が尋ね返すと、主人はにこにこしながら鞄に耳を近づけ、鞄がそう言っているよ、と言いました。 「先月はニューヨーク。その前はオーストラリア、その前が香港。ああ、何だイタリアへも来ているのか」  主人は鞄の話を聞いているようにうなずきながら、私が今まで行った旅行先をひとつ残らず当ててみせました。驚いている私を尻目《しりめ》に、主人は鞄をぽんぽんと叩《たた》き、嬉しくて仕方がないといった様子でこう言いました。 「この鞄は、気のいい奴《やつ》だよ。第一あんたのことを好きだと言っている。口金は直してあげるから、これからも可愛《かわい》がってやりなさい」  幸せのスプーン  スリランカの首都「スリジャヤワルダナプラ=コッテ」を訪れる旅は、わずか三日の予定でした。  急ぎの旅だったので、これといった観光も楽しめなかったのですが、ひとつだけ、いいことがありました。泊まったホテルのすぐ隣に、ティースプーンを売る店があったのです。さすがに紅茶の本場だけのことはあって、素晴らしい品揃《しなぞろ》えです。材質も銀やスチールはもとより、木製のものまで様々に揃えてあります。  私が買い求めたのは、ちょっと高価だったのですが、銀のティースプーンの五本セットでした。店の主人の話によると、これは幸せのスプーンと呼ばれるものだそうです。  主に結婚の贈り物として使われるらしいのですが、このスプーンで紅茶をかきまぜて飲むと、幸運を呼ぶのだそうです。本当はこの秋に結婚する後輩のために買おうと思ったのですが、あまりきれいなので、自分で使うことにしました。  さっそくホテルの部屋で紅茶を入れて、このスプーンを使ってみたところ、すぐさま電話が鳴りました。出てみると、東京からで、急ぎの仕事が延期になったので、もう四、五日スリランカに滞在してもいいという話でした。さすが幸せのスプーン。早くも力を発揮してくれたようです……。  自分あての手紙  海外へ行った時に、宿泊先のホテルから自分あてに手紙を書いたことはありませんか?  内容は、ごく些細《ささい》なことで構わないのです。その日に見たものや、身辺に起きたことなどを書いて、封筒に入れ、日本の住所と自分の氏名を表書きするのです。  ボーイを呼んで頼んでもいいし、自分でフロントへ行って、ホテル専用の郵便箱に投函《とうかん》してもいいのです。その後は、手紙を書いたことなどきれいに忘れて、旅を続けるといいでしょう。  日本へ帰国して数日|経《た》ってから、その手紙が届くと、非常に奇妙な、不思議な感覚にとらわれるはずです。  まるでもう一人の自分が海外にいて、自分あてに手紙を寄越したような……。既に終わったはずの旅を、もう一人の自分が未《いま》だに続けているような錯覚を抱くはずです。  自分あての、エアメール。一度試してみてはいかがでしょう?  未来地図  トルコ、アンカラ。イスラムの祝日に開かれたバザールで、私は不思議な世界地図を手に入れました。  十六世紀のトルコ提督が二千年前の古地図をもとに作ったもので、大雑把《おおざつぱ》な形の海と大陸が青と緑の色で鮮やかに描かれています。しかし奇妙なことに、十六世紀の地図であるはずなのに、十七世紀に発見された南米の海岸線や、二十世紀になって初めて見つけられた南極の海岸線が明確に描かれているのです。売ってくれた露天商はこんなことを言っていました。 「こいつは未来の世界を透視する、世にも不思議な世界地図だよ」  半信半疑でしたが、私はこの地図が気に入り、日本に持ち帰って部屋の片隅に貼《は》ることにしました。  ところが先日、あらためてこの地図を見てみると、様子が変わっているのです。緑や青で描かれていたはずの世界が、一面灰色の荒野に変化していたのです。あの露天商の言葉が本当なら、これが未来の世界の姿ということになります。  私は、この奇妙な現象が単なる紙の変色であることを心から祈らずにはいられません。  箱 屋  イスタンブールの下町で、私は一風変わった店を見つけました。ほんの六畳ほどの狭いスペースに、大小様々な箱がぎっしりと並べられています。木製のものや金属製のもの、表面に美しい彫刻が施されたものや、宝石が嵌《は》まっている高価なものもあります。  一言で言うと「箱屋」ということになるのでしょうか。何だか悠長な商売です。  私は奥へ入っていき、ひとつひとつ箱を手にとっては蓋《ふた》を開け、具合を確かめていました。と、一番奥にガラスのケースがあり、その中に石でできた箱がひとつ、飾られていました。かなり古そうな箱です。私は近寄ってガラスケースを開け、その箱を取り出してみました。蓋を開けようとした瞬間、背後から声を掛けられました。 「蓋を開けてはいけない」  強い口調だったので私はびっくりして、手を止めました。この店の主人らしい男が怖い顔で立っています。 「その箱はパンドラという箱だ。先祖代々、私の家で箱が開かないように守っている。触れてはいけない」  私は彼に詫《わ》びて、すぐに箱を元の場所へ戻しました。  パンドラの箱といえば、人間の様々な悪行が詰まっている箱です。しかしその底にひとつだけ残っていたという希望とやらを、垣間見《かいまみ》てみたい気はしたのですが……。  アキレスの翼  錬金術師といえば、人工的に金を造り出すために色々と実験を繰り返していた科学者のような人たちのことですが、彼らはその副産物として様々な発明品を生み出しています。昨年イギリスを旅した折に、私は錬金術師の末裔《まつえい》と名乗る、不思議な男と知り合いになりました。ロンドンのボンドストリートの外れにある小さなパブで、たまたま隣り合わせになったのです。  彼は親子代々、数百年も金を造り出すための実験を繰り返していると語り、私を驚かせました。酒の席の冗談にしては、ずいぶんと念の入った内容だったのです。一時間近く、実験についての話を一人で喋《しやべ》った後に、彼はポケットから薬の壜を取り出してこう言いました。 「結局|俺《おれ》が造り出せたのは、この薬だけだ。よかったら一粒分けてあげよう。アキレスの翼という薬でな、服用すると時速千五百キロで走れるようになる」  私は神妙な面もちで、この薬を受け取りました。さすがに怖くて服用できず、未《いま》だにパスポートケースの中へ入れたままなのですが、来週からのアフリカ行きで、もしかしたら使う機会があるかもしれません。ケニヤの自然公園で、ライオンに囲まれでもしたら、飲んでみようと思っているのですが……。  負けないチェス・セット  ロンドンのベーカー街といえばシャーロック・ホームズで有名ですが、私はこの街で、一風変わった買物をしました。街外れの雑貨屋の店先に置いてあった、古いチェス・セットです。  一見したところ、ごく普通のチェス・セットだったのですが、妙に値段が高いので、理由を尋ねてみました。チェスの駒《こま》が特殊な素材でできているとか、由緒があるとか、そういう答えを想像していたのですが、雑貨屋の主人は意外なことを言いました。 「これは、持ち主を必ず勝たせてくれるチェス・セットなんですよ」  冗談かと思って私が笑うと、主人はむきになって本当だと言い張り、試しに一勝負してみてくれと勧められました。ちょうど暇を持て余していたところだったので、私は雑貨屋の主人とチェスの勝負を始めることにしました。ところが、あっという間に勝負がついてしまったのです。駒をどういうふうに動かしたのか、自分でもよく分からない内に、私は勝っていました。  もちろん私はこのチェス・セットを買うことにしました。  しかし日本へ持ち帰って友人を相手に連戦連勝してみると、勝つということが意外につまらないことだと思い知らされました。勝敗というものは、やはり神様に任せておくのが一番いいようです。  明日が分かる手帳  ミラノの中心街から少し南へ外れた通りにある、小さな革製品の店。私はここで、一風変わった手帳を見つけました。  柔らかい子牛の皮をなめした、手触りの良い表紙がついた手帳です。開けると中にはスケジュール表が挟み込んであります。買おうか買うまいかしばらく迷っていると、店の女主人がショウケースの向こう側から、声を掛けてきました。 「それは、明日が分かる手帳ですよ」  そんなことを彼女は言って、不思議な微笑《ほほえ》みを見せました。どういう意味か分からなかったのですが、結局私は買うことにして、品代を女主人に手渡しました。すると彼女は、一ページ目にサインをしなさい、と命令口調で言いました。言われた通りにサインをして、スケジュール表の一ページ目を開け、明日の日付のところをふと見ると、そこには私の字で、 「午後帰国」  と書いてあるのです。どうやらこれは、私が筆を動かさなくても、明日のスケジュールがちゃんと書き込まれる手帳であるらしいのです。  明日の行動のすべてが前日に分かる、不思議な手帳。手に入れたければ、あなたもミラノを訪ねてみることです。  二十年の修行  中国の古い寺院を訪ねた時のことです。  その寺院の奥の壁に、一匹の巨大な竜の姿が描かれていました。大きく体をくねらせた竜は、今にも飛び出しそうなほど生き生きと描かれているのですが、何故《なぜ》か目の部分だけが空白のまま、何も描かれていませんでした。  不思議に思って寺院の人に尋ねてみたところ、そこにはかつて二匹の目のない竜が描かれていたという答えが返ってきました。後にここを訪れたある僧侶《そうりよ》が、竜の目がないのを不思議に思って一匹に目を描き入れたところ、途端に雷鳴が轟《とどろ》いてその竜は天に昇ってしまい、目のない一匹だけがここに残されたのだそうです。 「その僧侶はその後二十年もの歳月をかけて修行を積み、最後にはとうとう竜を捕らえる技を身につけたのです」  説明をしてくれた寺院の人は、そう付け加えました。私が、それでは竜はつかまったのですかと尋ねると、彼はこう答えました。 「いえ。二十年もの間修行をしていたので、残りの人生にはその技を実行する時間は残っていなかったのだそうです」  夢を買う男  アメリカ、ミシガン湖のほとりに夢を買う人物が住んでいるという噂《うわさ》を聞いたのは、二年ほど前だったでしょうか。ずっと気にかけていたのですが、今年になって私はようやくその人物に会うことができました。  その男は、ミシガン湖のほとりに小さな丸太小屋を建ててひっそりと暮らしていました。百歳にも届こうかという高齢で、まるでスター・ウォーズに出てくるヨーダという仙人のような風貌《ふうぼう》の男です。彼は私が小屋へ入っていくと、いかにもつまらなそうに鼻を鳴らしてこちらを見つめ、 「どんな夢を売ってくれるのだ?」  と尋ねてきました。私はしばらく思案してから、 「世界じゅうのすべての国に自分の足跡を記したい。それが私の夢です」  と答えました。すると男はまた鼻を鳴らし、日本円に換算すると三千万円ほどの金額を口にしました。それが私の夢の値段だと言うのです。夢を売り渡してしまったら、その後どうなるのかと尋ねると、彼はしかめっつらをしてこう言いました。 「もちろんその夢は私のものになる。だから君は永遠にその夢を失う」  これを聞いて、私は彼の小屋から退散しました。  いくらお金を積まれても、この夢だけは売り渡すわけにはいきません。  砂場のロスアンゼルス直行便  遅い朝食を終えて、私はぶらりと散歩に出掛けました。文庫本と煙草《たばこ》を持って、近所の公園へ行き、木陰でのんびり読書でもしようと思ったのです。  その公園の木陰のベンチのそばには、子供たちが集う砂場があります。本を読もうと思ってベンチに腰掛けると、ふと一人の男の子と目が合いました。彼は砂場に一生懸命に絵を描いている様子です。目を凝らしてみるとそれは世界地図のようでした。アメリカ大陸があり、ヨーロッパがあり、中国があり、日本があります。男の子は私と目が合うとにこりと微笑《ほほえ》み、 「ぼくはねえ、飛行機なんだよ」  そう言って両手を広げ、世界地図の上を駆け巡りました。よく見ると、ちゃんと日本から飛び立って、ロスアンゼルスへ直行便で向かっている様子です。  着陸の瞬間、男の子は真剣なまなざしになって徐々に減速し、見事に着陸しました。そしてしばらく給油の時間をとってから、今度はヨーロッパに向かって飛び立ちました。  私は男の子の瞳《ひとみ》に映る白い雲と青空と異国の国の様子を思い浮かべながら、ベンチに腰を下ろし、文庫本のページをゆっくりとめくりました……。  水いらずのサボテン  数年前、アメリカ南西部を旅した時のことです。私はメキシコ国境に近いとある小さな村に、二日ほど滞在しました。  その少女は大きなサグアロ・サボテンが真ん中にぽつんと立つ村はずれの丘の上に、一人で座っていました。散歩の途中に通りがかった私は、彼女が誰かと話している様子であることに気付き、不審に思いました。そこには一本のサボテンが立っているだけで、人の姿は少女の他にはなかったからです。 「サボテンと話しているのかい?」  近寄ってそう尋ねると、少女は振り向いてこう答えました。 「違うわ。お母さんと話してるのよ」  この土地で、サボテンは聖なる植物として大切にされています。亡くなって大地にかえった人の魂が、サボテンに姿を変えて現れるのだと今でも信じられているのです。  私が出会ったその少女は、そのサボテンと、つまり亡くなった母親と、まさに水いらずで話していたのでしょう。  ラバが来るぞ  その夜私は都内のホテルの一室で、マルチニーク島で買ったラム酒を飲みながら、ラバという名の男のことを考えていました。  遥《はる》か昔、カリブ海をめぐる英仏戦争で活躍した、泣く子も黙る豪傑、無類の酒豪とうたわれたペール・ラバのことです。先日訪れたマルチニークでは、そんな彼の伝説的な恐ろしさが大変ユニークな言葉で残っていました。 「ラバが来ますよ!」  言うことをきかない子供を叱《しか》る時に、今でも島の親たちはそう言います。  コニャックにも勝ると言われるマルチニークのオールドラム。その深い味わいとコクを楽しみながら、私は杯を重ねました。ところがしばらくすると、隣の部屋から子供たちの金切り声が聞こえてきます。もう夜も更けているのに、何やら興奮して騒いでいる様子です。あまりにもうるさいので、私はたまりかねて、 「ラバが来るぞ!」  と大声で叫びました。しかし、日本の子供がラバのことを知るはずもなく、相変わらずの大騒ぎです。  すると突然、隣の部屋の扉がガタンと開く音が響いて、子供たちの声が止みました。シーンと静まり返って、水をうったようです。  ラム酒の香りに誘われて、ひょっこりラバが現れたのかもしれません……。 角川文庫『旅の短篇集 春夏』平成12年12月25日初版発行